累計122万件出荷!自然食品・自然療法・エコロジー・らくなちゅらる提案サイト

特集

インタビュー取材しました。

人と森林の新しいつながりを創る 株式会社アドプランツコーポレーション 代表取締役 増永 滋生 氏 インタビュー

投稿日:

ここ数十年でのライフスタイルの変化に伴い、人と森との関係も大きく変わりました。日本の森では、放置林や自然災害、地域における里山の減少といった問題が広がっています。そんな森と人との関係をつなぎ直し、森林をよみがえらせようと、2011年にアドプランツコーポレーションを立ち上げた代表の増永 滋生氏。これからの時代に向けた自然再生の在り方についてお話しいただきました。

根気のいる活動を続ける原動力を聞くと、「活動のなかでたくさんの人の笑顔や喜びに出合うので、楽しいんですよ」と増永氏

株式会社アドプランツコーポレーション
代表取締役
増永 滋生(ますなが しげお)

京都生まれ。公園の設計や植栽のデザインに約10年間従事した後、2011年「国際森林年」にアドプランツコーポレーションを創業。自然再生コンサルタントとして地域ごとの植物や動物、景観、歴史などをリサーチし、理想的な未来の自然像を実現するための計画や提案等をおこなっている。2015年にはNPO法人「ひとともりデザイン研究所」を設立。長期スパンで地域を見守りながら森林の保全・再生活動に取り組み、人と森をつなぐことに情熱を注いでいる。
株式会社アドプランツコーポレーション https://www.addplants.co.jp/

 

人と森とのかかわりを
探究する道へ

——会社を立ち上げたきっかけを教えてください。

私はもともと、出版社の編集者でした。主に行政に関する書籍を発行している会社で、おのずと都市計画や地域デザインの分野の情報に触れるようになりました。その土地のあるべき姿をめざして、街をデザインしていく。そんな世界があるんだなと、次第に興味を持つようになって。植物が好きなので、人と自然をつなぐ仕事ができればと考えました。そこで思いきって大学に入り直して、ランドスケープデザインなどを学びました。卒業後は、人と街をつなぐ空間をつくりたくて、公園の設計や植栽のデザインに携わりました。ただ、植樹を扱うよりは、もっと自然の木々にかかわりたいと思い、自然環境の調査や自然の再生計画を立案する会社へ転職しました。そこでは行政の仕事が中心で、地域の森林をいかに住民の立場から整備していくかというような案件を、いろいろ経験しました。そのころから、世間には自分が思い描く仕事はなかったので、独立して仕事の形をつくろうと考えていました。10年ほど在籍した間に多くのことを学び、2011年に地元の京都に戻って起業しました。いざ自分で始めると、常に自然と向き合う時間が大切なので、自分の時間がまったく取れないことに気づきましたけど(笑)気がつけば、この世界の深みにはまっていました。

——京都のご出身なんですね?

私は西京区の大原野で生まれ育ちました。すごく田舎で、小学校まで片道3キロぐらい歩いて通ってたんです。その道中で、いろんな植物や生き物にふれあいながら遊んでいた記憶があって。もしかしたらそれが、自然と人をつなぐという今の仕事のきっかけなのかもしれません。私のテーマはいつも「自然と人」なんです。

——自然と人をつなぐ事業とは、どんなものですか?

私は森林の生態を専門として、長年、調査研究をしてきました。事業では、対象となる地域の自然や歴史、つまり風土を調べて自然再生計画を立てます。具体的には3つの軸があり、ひとつは、地域それぞれの自然や景観のあるべき「未来像」を描いて、それを実現するための保全対策や手法を提案すること。それから、地域の人が自然とかかわりを持つ仕組みをつくること。私たちが事務局となって、竹林や田んぼでの自然保全活動や自然体験プログラムなどを運営しています。そして、地域資源を活かした商品やサービスをつくることです。たとえば、地域の方が伐採したタケノコを使ったカレーや、アカマツの松ぼっくりを使ったビールなどを開発し、地域の自然再生と経済とが持続的に循環的に機能する仕組みをつくっています。

——あるべき未来像を描くとはどういうことですか?

自然を再生するというとき、景観を美しくすることや、生物多様性の面で生き物がたくさんいる世界をつくること、そして森林の木々を健康にして、防災的に機能していくことがあります。そこで私がめざすのは、自然の美しさなんです。人が山のなかに行って「あぁ、美しいな」とか「この紅葉のバランスがきれいだな」と思うとき、それが公園のように作られたものではなく、自然のままの景色を保全・再生させたものがいい。しかもその土地の風土を活かしていくことが大切です。

 

「地域らしさ」を活かして
新しい経済循環を生みだす

——今、日本の森林はどれぐらい危機的な状況なんですか?

私たちが目にする森の景観の多くは、戦後の高度成長期に急速に拡がっていった人工林です。木材の利用を見越して植えられた、利用価値の高いスギやヒノキなどの針葉樹が全国的に間伐の適齢期を迎えていて、今、木を切らなければ次の森が育たないという状況なんです。かつては、薪を使ってかまどで料理をしたり暖を取ったりと、日々の暮らしに木を利用していましたが、ライフスタイルの変化や木材の価格の下落などから、林業は衰退する一方です。森は人が手入れをしなくなると風通しが悪くなり、木が弱って台風や雪で倒れやすくなったり、根が十分に張れない状態になったりします。実際に京都でも5年ほど前に大きな台風が来たとき、山一面の木々がなだれのように倒れてしまいました。

一方、京都の山といえばアカマツですが、それは里山という管理のもと成り立った植生で、発生した林。アカマツは伝統的な行事にも使われてきましたが、そのアカマツ林も危機的な状況です。以前、金閣寺の裏にある大北山で1500本ぐらいの樹木の診断をしたときに、6割ほどは病気になっていることがわかりました。雑木が増えると、マツノザイセンチュウという虫がついて、アカマツをどんどん枯らしていくんです。あと10年もしたらかなりの本数が枯れてしまうと思います。

——お寺の周辺など、京都らしい景観にも影響がおよぶのですね。

はい。京都らしい景観に竹林もあります。日本にある竹は、主に孟宗竹と真竹、淡竹(ハチク)です。孟宗竹はタケノコが出る竹ですが、今はタケノコの需要が激減しているので、竹も荒廃してどんどん倒れていっています。そうなると景観的にも良くないですし、雨で流れると川の氾濫の原因にもなります。特に真竹と淡竹の寿命は100歳くらいで、開花して一斉に枯れる生態的特徴があります。昔は孟宗竹が酒樽などに使われていたので、農家さんにとって冬場の収入源でした。でも今は需要がないので、誰も竹林に入りません。今では農家ではない私たちが自己資金で竹を切り景観を再生するほど、差し迫った問題になっています。

——どうしたらいいでしょう。

昔の生活に戻ることはないので、時代に合わせた、人と自然の新しいかかわり方を見つけたいところです。森林のあり方には、「極相林」といって、最終的にその地域に適した植生だけが残る原生林のような森もあります。一方、私のテーマは「里山」の再生で、そこに暮らす人たちが、その土地らしい自然とのつながりを取り戻していけるように働きかけます。ただ、自然が再生するには何十年単位で時間がかかるもの。ビジネスとして考えれば、事業計画を立てて終わりということも多く、運用できないケースが多いです。私はそれができなくて、2015年にN‌P‌O法人を設立し、自然が再生するまでの長い時間のなか、地域を見守りながら里山活動に取り組んでいます。京都では、二尊院さんや常寂光寺さんなどの寺院、地元企業、住民が参画する「景勝・小倉山を守る会」の事務局になって、地域の人々と自然を再生し、伴走支援をおこなうという持続可能な環境づくりを大切にしています。

——里山再生の事例を教えてください。

京都の嵯峨嵐山では、もう13年以上、地域ぐるみでいろいろな活動をしています。アカマツ林の景観を取り戻すために、毎月除伐活動をしたり、竹林整備のために宿泊施設と協力してエコツアーを実施したり。実はこの地域は、アカマツ林や竹林を背景に水田が広がっている風景が美しく、「稲穂たなびく景観」として歴史的風土特別保存地区に指定されています。特に水田では米農家さんの平均年齢は75歳ぐらい。辞めていかれる方も多く、跡を継ぐ人もいないのが現状です。人手不足を補うために化学肥料と農薬に頼ってきたことで、生物多様性が失われ、トンボやカマキリなど身近にいた生物をあまり見かけなくなっています。そこで私たちが水田を預かり、水田オーナー制度を取り入れて、有機栽培の研究をしながら、付加価値をつけたブランド米を商品化して販売しています。有機肥料は、放置竹林を間伐した竹の棹をチップにした発酵肥料や乳酸菌。竹の枝葉は京都市動物園に象の飼料として提供し、その象糞を施肥しています。収穫した米の売り上げはまた環境整備に活用する循環的な仕組みです。今、私たちは1・5町分の水田を管理しているので、私も土日の仕事は草刈りです(笑)。大変ですが、そのように地域資源を循環させていくことで、「京都らしさ」といわれる景観を守り、生物多様性の維持につなげていく、ひとつのモデルをつくれているのではと思います。最終的な目標は、多様な生物相が再生され、地域で新しい経済の循環を生み出し、若い人たちにバトンタッチすることです。

 

竹林整備の様子

森をよみがえらせることは
地域文化を守ること

——理想的な新しい経済の仕組みをどう考えますか?

行政だけに頼ると、縁の切れ目がお金の切れ目になってしまいがちなので、私たちは地域と連携して社会や自然の課題解決に取り組んでいます。地域ごとに、多様な人たちが参加できる自然再生の仕組みがあるのが理想です。嵯峨嵐山の事例では、地元企業にいただいた協賛金で必要な資材や苗木を購入しています。社員の方々が毎月ボランティアで木の伐採に来てくれていて、自然の再生のために地域で経済を回せている状況です。

京都は観光の街でもあるので、観光業界と環境保全をいかにつなげるかもテーマのひとつ。たとえば、宿泊施設と連携し、お客さんが木の伐採体験をするアクティビティでは、私たちだけでは年間20本しか切れませんが、100人いれば100本切れるという効果が期待できます。また、京都の森の木を種から育ててもらって植栽する森づくり活動では、かかわった人々でつくりあげる景観を見る喜びがあります。ほかにも、施設ごとの要望に合わせた自然ツアーの企画とガイドをするなど、私たちの取り組みとうまく合致するコンテンツの在り方を模索しています。地域の自然再生をいかにしていくかは、その地域のポテンシャルを理解したうえで、関わる人たちの多方面にメリットを生むアイデアを出し合うことが肝心だと思っています。

——地域資源を使った商品開発もそのひとつですね。

企業と一緒に、自然の資源から現代に合う機能的な商品を生み出すことに挑戦しています。たとえばアカマツからはアロマオイルを作れますし、竹を繊維にすれば服も作れます。いろんな形、関わり方で企業と自然との新しい関係性ができるといいなと思います。

——自然の再生が私たちの生活とどう関係するのか、また今の私たちにできることを教えてください。

京都でいうと、京都三山はアカマツ林です。伝統行事とも結びついていて、五山の送り火の松明をはじめ、鞍馬や清涼寺の火祭り、祇園祭の山鉾巡行などにはアカマツが使われています。それが失われつつあるというのは、持続可能な形で伝統文化を守れなくなっているということ。そのように、周囲の森や自然が地域文化を支えている例はほかにもたくさんあります。そして自然災害や食糧危機なども、すべてはつながり、影響し合っているんです。
これを食い止めるために、誰にでもできることがあります。それは、自然再生につながる製品を買ってわずかでも資金を提供すること、自分も活動に参加することでマンパワーを提供すること、そして企業や個人などが持つ技術を提供することの3つです。確かに、今の生活のなかで森林のことを思う時間はなかなかとれないかもしれません。それでも、一つの力が集まれば大きな力になるはずなので、できる範囲で「かかわること」が大事だと思いますね。

——今後目指すことはなんですか?

今後は京都以外の市町村でも森の再生や企業と連携する事例をいくつか作り、事例地ごとの意見交流会や勉強会ができたらと考えています。もうひとつは、今アカマツの再生に力を注いでいます。そのアカマツを使った商品として、最近アカマツの松ぼっくりを使った「小倉山」というペールエールが発売されました。今後も食をはじめ、自然を再生することから生まれた商品を手に取ってもらいたいです。それをきっかけに、自然の再生についてより多くの方にかかわっていただけたらいいなと思っています。

 

※1:1町は約9900平方メートルで約1ha
※2:比叡山、大文字山、鷹ヶ峰の京都市にある三つの山を指す

自慢のおかずみそ

京都の竹林保全活動から得た旬のタケノコを茹でてビン詰めにしました。PH調整剤やクエン酸は不使用。茹でたてに近い味わいです。

プレマシャンティ 京たけのこの水煮を見てみる>>

人と森林の新しいつながりを創る 株式会社アドプランツコーポレーション 代表取締役 増永 滋生 氏 インタビュー

- 特集 - 2025年2月発刊 vol.209

今月の記事

びんちょうたんコム

累計122万件出荷!自然食品、健康食品、スキンケア、エコロジー雑貨、健康雑貨などのほんもの商品を取りそろえております。

びんちょうたんコム 通販サイトへ