この春、プレマルシェ京町家に移転オープンしたインド料理店「ティラガ」。店主の伊勢司さんは、長年「日本とインド、人をつなぐ」を掲げ、多角的な交流を築いてきました。近年は世界遺産・東寺でのアート展など、さらに活動の幅を広げています。常識に捉われず挑戦を続ける原動力と、事業に込めた想いを伺いました。

長年勤めるシェフたちがつくる料理は、全国のインド好きが太鼓判を押すおいしさ。「京町家の伝統的な空間でスパイスの香りを楽しんでほしい」と語る伊勢さん
株式会社ジャパンディア
代表取締役 伊勢 司(いせ つかさ)
1988年大阪生まれ。幼少期から何度もインドを訪れる。同志社大学でインド 人 旅 行 者 の 誘 致 を研究したのを機に、卒業後はインドのバナーラス・ヒンドゥ大学大学院へ留学。2015 年に株式会社ジャパンディアを設立する。「日本とインド、人をつなぐ」をモットーに、旅行・飲食事業のほか、近年はゴンドアートの巨匠バッジュ・シャーム氏を招いた展覧会を主催するなど、多角的に活動を展開している。
▶︎株式会社ジャパンディア https://japandia.jp/
日本とインドの
隔たりを超える
—— 初めてインドを訪れたのは10歳のときだとか。どんな体験でしたか?
学校の長期休みに、母に連れられて行きました。南のチェンナイから入り、東海岸を北上してコルカタ、バラナシ、デリーを巡る1ヶ月弱の旅でした。30年近く前のインドはまさに混沌そのもの。インドに着いた翌朝、ホテルの窓から外を見たときの衝撃を今でも覚えています。雑踏と動物と、部屋まで漂ってくるにおい。子どもながらに「あ、終わった」と思いました(笑)。それまでも海外旅行の経験はありましたが、インドは想像をはるかに超えていた。世界にはこんな場所もあるんだと、感覚的に突きつけられた気がしました。
印象に残っているのは、ガンジス川のほとりでの出来事です。子どもたちが裸足で走り回っていて楽しそうなので近づいて行ったら、僕が靴を履いていることをからかわれたんです。そこで母に露店でサンダルを買ってもらい、もう一度輪に入りに行きました。あのとき地元の子たちに馴染みたいと感じたことや、仲間に入れたときの喜びは、今の仕事にもつながっています。その後も何度かインドを訪れました。
—— インドの大学院に留学したのは、どんな思いからだったのでしょう?
大学では観光学を専攻し、人の往来について学びました。当時、日本は観光立国を掲げていて、僕は単純に「人口の多いインドから人を誘致すればいいのに」と考えたんです。でも現地では、ホンダやソニーなどの企業名は浸透していても、観光地としての日本はほとんど知られていませんでした。お互いを知っているようで、じつは距離がある。それを縮めるために、より深くインドを知りたいと思いました。
—— とはいえ、現地で生活するのは大変そうです。
バラナシで、ガンジス川の近くに部屋を借りて通学していました。やはり衛生環境が厳しく、あらゆる病気にかかりましたね。気温差も大きくて、冬は零度近く、夏は45度超えでもエアコンはなし。体調不良で休まざるをえないときも度々ありました。
驚いたのは、入学初日に教授から「君たちの代わりはいくらでもいる。ついてこられないなら辞めろ」と言われたことです。僕は留学生でしたが、現地の子たちは熾烈な競争を勝ち抜いて入ってきている。日本で少子化といわれて大事にされるのとは真逆の世界ですよね。実際、入学した45人のうち、卒業できたのは32人でした。
—— まさに「生き残った」という感じですね。帰国後、すぐに起業されたんですか?
最初は漠然としていたんです。ただ、日本とインド間の「わかりあえていない部分」をどうにかして埋めたいという思いはずっとあって、それが普通の就職活動では見つけられなかった。留学中、日本の知人から頼まれて現地調査や案内をしていたので、「これを広げれば仕事になるかもしれない」と思ったのが発端です。
転機になったのは、当時のインドのモディ首相と安倍首相が会談して、「京都・バラナシ・パートナーシップ提携」が結ばれたことです。京都とバラナシの両方で観光を学んだ自分ならなにか役に立てるはずだと、行政の仕事も見据えて会社を設立することにしたんです。まだ26歳で、社会人経験もないのに無謀ですけど(笑)でも、あのとき一歩を踏み出してよかったと思っています。
「食」を入り口に
リアルなインド体験を
—— 旅のお手伝い以外に、京都でインド料理店「ティラガ」を運営するようになった経緯を教えてください。
当初、飲食業をやるつもりはまったくなかったんです。ただ、学生時代に「ティラガ」でアルバイトをしていた縁で、前のオーナーとは面識がありました。起業して1年くらい経ったころ、突然「引き継いでくれないか」と打診されて、「ええっ」と驚きました。飲食業の経験はないし、店も傾きかけている状況でしたから。でも長く務めるシェフの料理が本当においしくて、この味さえあれば、伝え方次第でなんとか再生できそうだとも思いました。
もうひとつは、これから日本を訪れるインド人は増えていくという確信です。彼らは食に対して非常に保守的なので、すぐに日本食を楽しめる人ばかりではありません。そんな人たちが安心して立ち寄れる、インフラとしての受け皿が必要になると思ったんです。それが結果的に、日本人にとってもインドを知る入り口になるだろうと考えました。
—— 確かにティラガでは、食事だけでなくインドを多角的に知るイベントが開催されています。
日本でよく聞く「カレーとターバン」というインドの固定的なイメージを覆したいんです。インドに興味があっても、なにから知ればいいのかわからない人も多いので、映画や音楽、経済や歴史など、いろいろな切り口から今のリアルなインドを伝える場をつくってきました。ここでの体験が、実際にインドへ行ったり、インド人と会話をしたりするきっかけになれば嬉しいですね。
—— 伊勢さんご自身は、インドのどんなところに惹かれていますか?
自分でも不思議なのですが、ずっと「好き」という感覚はないんです。でもなぜか足を運んでしまう。インドという国は、正体の見えないものを知りたいという好奇心を刺激してくるんだと思います。街でぼーっと人を眺めているだけでも、日本では見られない行動や思考に出合える。それがおもしろいんですよね。
それと、あまり公言はしていませんが、僕にはずっと「宇宙に行きたい」という夢があるんです。インドは宇宙開発やITの分野で世界をリードしているので、インドにかかわることが、夢への最短ルートになるのではと期待しています。みなさんがイメージするインドとは少しかけ離れているかもしれませんね。最先端をいくダイナミックさと、数千年の歴史や多様性を受け入れる懐の広さが共存している。単純な理解では追いつかない奥深さが魅力だと感じています。
—— 最近、アート活動を始めるきっかけとなった、画家のバッジュ・シャーム氏との出会いについても教えてください。
2018年に、チェンナイの出版社タラブックスから日本の知人が本を出版し、その出版イベントでアテンドを任されたのがきっかけです。バッジュさんはヒンディー語を話す北インドの出身で、南インドのタミル語にはなじみがありません。そこで僕が通訳を担当し、3日間ほど行動を共にしました。その際、彼の原画を見せてもらったときに、たまらなく惹かれたんです。ダメもとで「ギャラの代わりに絵を譲ってもらえないか」とお願いしたら、「いいよ」と。そこから交流が始まりました。
いつか日本に来てほしいという話もしていて、コロナ禍を挟んであらためて連絡したら、タイミングよく「行けるよ」と返事をしてくれた。それならやるしかないと思いました。とはいえ僕はアートの企画なんてまったくの未経験。ティラガの常連さんに相談していたら、「お寺なら場所があるよ」と紹介されたのが東寺でした。あとから知って驚きましたけど(笑)導かれるように決まっていったんです。
—— やるしかないと決めたほどの、絵の魅力とはなんですか?
ひと言でいえば、絵から放たれる圧倒的な生命力です。見た瞬間に魂に響いてくるような、力があるんですよね。究極的には、なにも説明しなくても伝わるだろうと思っています。だからこそ、変に意味を加えたり言葉で語ったりせずに、そのまま届けることを大切にしています。

バッジュ氏と子ども向けワークショップを開催したときの様子
バッジュ・シャームと
開いた新たな扉
—— どんな展覧会になりましたか?
2023年に京都の東寺と鎌倉の東慶寺で、2025年には東寺とジェイアール京都伊勢丹で「バッジュ・シャーム・キョウト」展を開催しました。僕が妥協しなかったのは、入場無料にすることでした。それは、子どもが「見たい」と言うとき、親がそれを止める理由をなくしたかったからです。心が動いた感覚そのままに、作品を見てほしくて。実際、たまたまふらりと立ち寄ってくださった方が、出てくるときには、いい意味で裏切られたような顔をしている。そんな姿が印象的でした。
あるときは、お母さんに図録をねだるお子さんがいて、「この子が自分から本を欲しいと言ったのは初めてです」と話してくれたこともありました。それを聞いたときに、無料で開催して本当によかったと思いました。
それから東寺の食堂という場の力も大きかったですね。仏様と向き合う静謐な空気と、真夏の暑さがあいまって、まるでインドの森に迷い込んだような、独特の空間が生まれていました。
—— 食や旅と比べて、アートはどんな役割を担っていますか?
僕はアートの専門家ではないですし、知識としての芸術にはそれほど興味がないんです。ただ、バッジュさんの作品に関しては、心の底から「伝えたい」という気持ちがわいてくる。おいしい料理を食べたときに「これ食べてみて」と薦めたくなる感覚に近いかもしれません。だから今後も、体験として受け取ってほしいものだけを大切に届けていきたいと思っています。
—— 伊勢さんから見て、バッジュさんはどんな方ですか?
驚くほど、純粋な人だと思います。ものごとをまっすぐ判断する強さがあり、自分の軸がぶれないんです。これまで、彼の人生について直接いろいろな話を聞いてきました。決して恵まれた環境で育ったわけでも特別な教育を受けたわけでもない。20歳を過ぎてから偶然絵を描き始め、自分なりに考え、表現を追求し続けている人です。その背景を知るほどに、彼の歩みや存在そのものがメッセージになると感じています。
今の時代、子どものころから「何者かにならなければ」という期待や重圧をかけられがちです。でも何者でもない時間があってもいいし、なにか始めるのに遅すぎることもない。彼はそれを生き方で示してくれているんです。
—— 東寺での展示で、当社の代表・中川と出会ったそうですね。
はい、中川社長もたまたま東寺を通りがかり、バッジュの絵に衝撃を受けたそうです。お話しするうちに、お互いの共通点も見えて、不思議なご縁を感じました。その流れで、「ティラガ」をプレマさんの町家へ移転することになったので、我ながら驚いています。
思えば僕の人生は、自分で明確な目標を掲げて進んできたというよりは、気づけばこうなっていたという感じです。下手に意図したことはうまくいかないけど、自然なタイミングでつながったものは無理なく続いていくような気がしています。
—— 今後の展望を聞かせてください。
2026年7月に、京都で新たなイベントを予定しています。今回は彼の半生を描いた作品をもとに、本人のナレーションによる、アニメーション映像の制作にも挑戦しました。ぜひご自身の感覚で味わってみていただけたらと思います。
