消臭やデトックスなどの効果で、さまざまに利用されている竹炭。十二村さんは、竹炭を農業に活用し、自然と共生する循環型の農法で「竹炭米」を栽培しています。複数の会社経営を経て帰ってきた、「原点」の地。これまでの人生の歩みと、「竹炭の力で、ふるさとを元気にしたい」との想いについて伺いました。

「これまでいろんな仕事をしてきたけど、自然相手の仕事は手間と愛情をかけたぶん、返ってくる喜びも大きいんですよ」と話す十二村さん
株式会社夢大地すみれ 代表
十二村 邦彦(じゅうにむら くにひこ)
福島県喜多方市生まれ。20代で仕出し弁当屋を開業。地域で20年間にわたり愛されるも閉店。その後、フランチャイズの飲食店経営を経て、2011年、東日本大震災を機に除染事業の会社を立ち上げる。2021年、竹炭農法と出合い、株式会社夢大地すみれを創業。KAGUYAプロジェクトとして、竹炭や牡蠣殻、竹酢液を利用した農薬不使用の特別栽培「竹炭米」や玉ねぎ、じゃがいもなどの農産物の栽培をおこなっている。
七転八起の精神で
歩んできた
——ご実家は代々、米農家だったんですか?
福島県の喜多方市で、米の専業農家をしていました。昔は稲作だけで十分に食べていける時代でしたし、周りもみんな農家という環境でした。ただ、あのころは、田植えも、稲刈りも、天日干しもすべて手作業でしたから。子どものころは家の手伝いをしながら、その大変さが身にしみて、「ぜったいに農家にはなりたくない」と思ってましたね。それで東京の大学に進学したのですが、長男だったので、両親からは「卒業したら必ず戻ってこい」と言われていたんです。
——学生時代は、なにを志していたのですか?
とくに明確な目標はなくて、ただ漠然と「いつか起業したい」と思っていました。それで地元に戻ってから仕出し弁当屋を始めたんです。当時はまだコンビニやテイクアウトのチェーン店が少なかったので、ありがたいことに繁盛しました。少しずつ規模を広げて、従業員を50人ほど雇っていました。会社の集まりや宴会、土日も冠婚葬祭やイベントのオードブルなどで、一年中ほとんど休みもなく働いてね。お客さんの多くは知り合いで、人にも恵まれていたんだけど……。今思えば、私の放漫経営でした。20期目に融通手形の不渡りで倒産してしまったんです。支えてくださった方々に大変な苦労をかけたうえに、家族もバラバラになってしまいました。
——その後、どうされたんですか?
狭い地域で、従業員が一度に職を失うわけですから、大きな責任を感じました。その後は単身で東京に出て、新聞配達や清掃、食品の配送など、いろいろな仕事をしましたね。そして3年ぐらい経ったころに、また懲りずに飲食業を始めることにしたんです。当時ブームになっていた「白いたいやき」のフランチャイズです。「真夏でも行列ができる」と評判で、これはイケると思いました。実際、私は東北支部長になり、自社でも4店舗を運営して、しばらくは予想以上に売れる日々が続きました。でも、やはり一過性のブームだったので、数年で終わりを迎えたんです。
ちょうどそのころ、東日本大震災が起きました。震災直後は作業員として除染作業にかかわっていましたが、「もっと広く除染を進めるには、自分で会社を興して人を集めるべきだ」という思いがわいてきたんですよね。もう二度と人を雇うことはしないと思っていたのに、結局、土木の会社を立ち上げました。全国から130人ほどの作業員を集めて除染事業を始めたんです。
——アイデアをすぐ実現するところが素晴らしいですよね。
いやいや、周りからは「なんでも飛びついて、失敗するんだから」と言われます(笑)性分でしょうね、会社勤めをするよりも自分で動くほうが性に合っているんです。
ただ、土木の会社も2020年代に入ってからは、大きな工事を請け負う機会が減っていきました。歳もとってきたし、この先どうしようかと考えていたとき、偶然手に取ったのが、愛媛県の「夢大地」という会社の社長が書いた『炭は地球を救う』という本でした。読んで、「炭の力って、こんなにすごいんだな」と衝撃を受けてね。いてもたってもいられず、すぐに愛媛県まで行きました。
竹炭の生命力が
田んぼを元気にする
——どんな出会いがありましたか?
その本には、「炭は人の健康や環境にいい」と書かれていたんです。最初は半信半疑でしたが、愛媛県に通って研修を受けるうちに、「竹炭を使えば、いい米や野菜ができる」と確信したんですよ。そこで、その会社が独自に開発した、自燃式の炭化装置を導入し、福島でもやってみようと決心しました。土木の会社は精算し、2021年に福島県二本松市に「株式会社夢大地すみれ」を設立したんです。二本松には竹林が多く、たまたま農場用のハウスや土地も借りられたので、まずは竹炭づくりから始めました。
——確信を持てたのはなぜですか?
学ぶうちに、竹炭が農業にとても有益だと知ったんです。古来から農家は「籾殻くん炭」を田んぼに撒いて土壌改良をしていました。炭化したものは土壌にいいと経験的にわかっていたんですね。籾殻に含まれるケイ素などが土壌の酸度を中和し、植物を丈夫にする。竹炭にも同様にシリカ(ケイ素)やカリウム、カルシウムなどのミネラルが豊富に含まれています。シリカは、健康や美容に欠かせない成分。実際に私の米を研究センターで調べたところ、2年連続で一般米の約7〜10倍のシリカが含まれていることがわかりました。
——どんな農法で栽培していますか?
まだ3年目なので、試行錯誤しながらですが、田んぼも畑も、栽培期間中に農薬や化学肥料を使用せず、土壌改良や栄養補給のために竹炭を使っています。まず、伐採した天然の竹を乾燥させ、専用の炭化装置で焼いた竹炭を粉砕したものに、宮城県の牡蠣の殻を粉にしたものを土壌に与えて耕します。元肥は完熟牛糞堆肥を使います。竹炭は多孔質で、通気性を高め、水分や栄養を保ち、微生物を活性化してくれる。さらに、竹炭の副産物である竹酢液を数回にわたり葉面散布しています。竹酢液は病害虫を予防し、作物を元気にしてくれる。手間はかかりますが自然の農業をやるうえで、これほど頼もしいものはないんです。
——牡蠣殻も混ぜるのですね。どんな効果があるんですか?
牡蠣殻はカルシウムなどのミネラルを補給してくれます。創業時に牡蠣殻がいいのではと思いついたので、宮城県の仙台沿岸から10トンダンプを何台も使って運んできました。実際、混ぜることで作物の出来が格段に変わります。竹は山の恵みで、牡蠣殻は海の恵み。今、二本松でも放置竹林が問題になっているので、竹を切れば人に喜ばれるし、牡蠣殻も要らないものです。それを使わせてもらうことで、循環型の農業をめざしているんです。
田んぼを始めて一番感じるのは「田んぼが喜んでいるなぁ」ということです。昔からいるどじょうやげんごろうが出てきて、緑が活き活きしてるしね。ほかの田んぼとはひと目で違いがわかります。慣行栽培と比べると、うちはとんでもなく効率の悪い仕事をしているかもしれませんが、大自然の恵みのおかげで、心地のいい波動のものができているという感じがしますね。
日本は海外の先進国と比べて、農薬や添加物の基準がとてもゆるいですよね。でもそれは危険なことで、不自然なものを食べ続ければ免疫力の低下や病気につながりますから。私は子どもや孫たちには安全な食べものを食べさせたいし、なるべく元気な土地を次世代に継承していきたい。だから竹炭米の可能性を信じて、ついてきてくれたスタッフに感謝していますし、これからもっと仲間を増やしていきたいです。
——これまでにどんな手応えを感じていますか?
肝心なところは地域の方々に教わりながら進めてきました。除草剤も使わないので、いちばん大変なのは雑草取りです。真夏の炎天下に、うちだけ草取りをしたりね。1年目の収量は6俵ほど。でも、うちの米を食べておいしいと言ってくれる人がいることが最高にうれしいんですよ。当初から娘夫婦とつながりのある飲食店を中心に、東京大学内のオーガニック食堂で使っていただいていることも、すごく励みになっています。いろんな方に支えられているなと感じます。これまでは人を動かす立場だったけど、今は畑や田んぼで自分の体を動かして、土に触れている。蒔いた種の芽が出て、葉っぱになって成長していくのを毎日見られるのが、なによりの喜びですね。

竹炭と牡蠣殻のパウダーを田んぼに蒔く様子
循環農業でふるさとを
盛り上げたい
——会津や二本松は、米の産地としてどんな地域の特徴がありますか?
会津は寒暖差が大きい盆地で、山の清水と粘土質の土壌に恵まれています。おいしい米が育つ条件が整っているんです。雪もたくさん降るので、その雪解け水が大自然を浄化してくれています。米と水がおいしいから、日本酒の名産地でもありますしね。会津の米は、つややかで、粘りと甘味があって、食感のよさが特徴なんです。二本松も、澄んだ水と自然に恵まれていて、最高等級の米がとれる産地です。
今年から、ふるさとの会津の喜多方でも竹炭米の栽培を始めています。喜多方市は2024年に、二本松市は2022年に「オーガニックビレッジ宣言」をしました。食や環境を大切にしようという機運が高まっているなかで、竹炭農法の仲間を増やしていけたらいいなと思いますね。実際に、「このやり方で大根と白菜を作ったら、すごくおいしくできたよ」という方がたくさんいて、ありがたいことに、口コミで宣伝してくれています。いいものを作り続けていれば、自然と届いてくれるんじゃないかと信じています。
——地域全体で食に意識的というのは心強いですね。
二本松市は移住支援にも力を入れていて、就農希望者も親身にサポートしています。私も移住推進協議会に参加して、空き家と移住者をつなぐ活動などをしてます。今は全国的に不耕作地の増加が問題になっていますよね。ここでも同じです。田んぼや畑は、3年放っておくと再生するのが難しくなりますが、竹炭で土壌改良することでまた元気な土地に蘇ります。完全に休耕地になる土地を減らすためにも、うちでも竹炭農法を学びたいという研修生の受け入れも進めていくつもりです。
——飲食や土木、農業と豊富な経験を経て、今は地域貢献もされている。今後はどんな展望をお持ちですか?
今振り返ると、遠回りに見えたことも全部ここにつながっていて、無駄なことはなかったと思います。もうすぐ70歳ですが、まだまだエネルギーが噴き出していて、あと20歳若ければあれもこれもやりたいなって(笑)農業を見て育った自分だからこそ、外で得た知識や経験を故郷に還元していきたい。「原点に帰ってきたな」という思いもあります。手間はかかっても、天日干しをしたり、草取りをしたり、昔ながらの農法を次世代に伝えるのも、私たち世代の大事な役目ですしね。山や海の自然と、人、地域がうまく循環する農業のかたちがあるんだよということを示したい。じつは今年から兼ねてより農業事業に参入を考えていた地元企業との協業も始まりました。これからも、地元企業や地域の方たちの協力を得ながら一歩ずつ新しいことにも挑戦していきたいと思っています。
——竹炭米の特長を教えてください。
竹炭米は、噛むほどに甘味と米本来の味わいがあります。なんとも言えないけど、こう深みがあって、「本当に体にいいなぁ」という感じがするんですよ。「冷めてもおいしい」「お弁当やおむすびにも最高」とのお声をよくいただきます。竹には驚異的な生命力があって、人の身体に役立つ成分がたくさん含まれている。なるべく続けて食べていただくと、体の変化がわかりやすいと思います。おすすめしているのは、普段から玄米の方には玄米のまま、そうでない方には七分づきか五分づきです。玄米に近いほど、シリカなどの栄養素の含有量が残っていますから。
竹炭米を、こんなふうに多くの人につないでもらえているのは、今まで妥協せず本物を追求してきたからではないかと思います。プレマさんで竹炭米を販売していただけるようになったのも、娘が勤めているご縁あってのこと。今まで自分のやりたいことに挑戦し、たくさん迷惑もかけてきましたから。これからはつながりを大切にして、一人でも多くの方の人生が豊かになるような、心と身体に響くものを届けていきたいですね。
