この数ヶ月の本稿で「力を奪う」「力を与える」人物や電気について、具体的な出来事や、それに対する私の対応について考察をし、お知らせしてきました。今月はもう少し踏み込んで、人や電気などが、どうして人に力を与えたり、あるいは奪ったりするのかについて掘り下げて考えてみましょう。
まず、9月号で言及した、なぜ根も葉もないヘイトが周囲の人々の力を奪い、感情を恐怖に陥れるのか、という点についてです。これは、その発信源となる人物が、まず根拠や裏付けのないことを真実のように感じ、恐怖の感情を抱くところから悪の連鎖が始まります。このような危険な種はインターネット上のあちこちに散らばっており、特にコロナ以降に急速に広がりを見せてきました。コロナの始まりのころ、「湯を飲めばコロナウイルスから逃れられる」という根拠不明の情報が一気に拡散されたことを覚えている人も多いでしょう。今振り返ると、SNSでそのような出所不明の話を流布していた人たちは、現在でも似たような根拠のない情報を拡散し続けているようです。彼らから発せられる「情報」は、一部の人たちには賞賛されていますが、多くの良識ある人々から見れば、まるで「なにかに取り憑かれた」ように見えるのです。しかし流布している当人は、自分の感じている恐怖や怒りに共感してくれる相手を一人でも増やそうとし、ますます声高に自説、または誰かの書いた根拠のない情報をさらに拡散しようとします。その根底にあるのはまさに「恐怖」であり、理性ではなく感情に突き動かされて行動してしまうのです。
どれだけ高い教養を備えた人であっても、恐怖が根底にあると感情に支配され、理性が無力化し、極めて他責的になってしまいます。人がこのように変質してしまう原因には、「人は痛みを避け、快楽を求める」という本質的な欲求があります。恐怖をなにかのせいにすれば気持ちが落ち着き、そこに共感者が増えれば安心という「快楽」を得られるためです。私はこのような状態を「恐怖というノイズが伝搬した状態」と考えています。ノイズはその人のなかで増幅され、さらにインターネットの振動のなかでより増幅し、周りの人に伝わっていく――そうした循環が起きてしまうのです。そのノイズを媒介しているのが、ここ数年のインターネット、特にSNSの情報であり、ノイズの伝搬と増幅のほとんどは電子的な空間でより深刻化しているといえるでしょう。
電気にもデジタルにもノイズがある
先月の本稿では、電気的なノイズへの対策の有無によって、家電製品が人に悪影響を与え、振動や音を発生しやすくなるという具体例を紹介しました。簡単に振り返ると、私たちの会社では自社製品となったマイナスイオン扇風機『新林の滝』を修理する事業を始めましたが、お客様から「音が鳴る」「振動がある」と送られてくる古い製品の多くで、その「あるはずの問題」が当社の修理センターでは再現できなかったのです。あるとき、私は気づきました。修理センターを立ち上げた際、スタッフの電磁波対策として、電気ノイズを減少させる仕組みを電源系統に組み込んでいたのです。その装置を外してみると、修理待ちの扇風機が一斉に音を立て、振動し始めました。これは、電気ノイズが家電に悪影響を与えていることを示す具体例です。ノイズを減らせば、修理が必要なほどの不具合は落ち着き、逆になにもしなければ再び問題が発生してしまいます。つまり、各建物に送られてくる電源をそのまま使っていると、電気ノイズの影響で家電製品は不具合を起こしやすくなります。結果として電気効率が悪化し、同じ仕事により多くの電力を必要とするため、電気代が高くなり、その建物にいる人々の健康も、電磁波の悪影響、すなわち増幅されたノイズによって害されるという、好ましくない現象が起こるのです。
では、インターネット上のヘイトを助長する情報はどうでしょうか。そこにも人の恐怖を増幅させる「情報ノイズ」が含まれています。SNS上で断片的に切り取られた根拠のない情報が流れることで、そのノイズはどんどん強まり、人々の心を汚染していきます。インターネットで得られる情報には個人の興味や過去の行動履歴に基づいて情報が選別される「フィルターバブル現象」と、自分と同じような意見のユーザー同士で情報が循環する「エコーチェンバー現象」があることを知っておく必要があります。これらを知らないと、自分と同じ意見しか見えない世界が出現し、「私が信じている情報こそ真実で常識だ」と思い込む盲信が生まれてしまうのです。デジタル空間やAIには、こうした恐ろしい「ノイズ増幅装置」が組み込まれています。そのことを知らずに無意識に利用すれば、人格までも破綻させかねません。
どうすればよいのでしょうか。第一歩は、電気にも、そして電気を介して流れる情報にも人の感情にもノイズが含まれることを知ることです。ノイズは身体や思考を蝕むことがある。だからこそ、一気に心拍数が上がるような情報に出合ったときは、感情に流されず、静かに瞑想すること。怒りや憎しみを抑え、世界の平和に心を向けることです。人間の幸福感は相互理解と良心に宿ります。排他的、攻撃的な態度のなかには、真の幸福は決して存在しない。そのことを、今一度思い出す必要があるのです。
