ここ数年、真夏のインフルエンザなど季節外れの感染症が流行しています。異常な暑さが続いて、疲労や食欲不振、体力低下といった「夏バテ」で体調を崩しやすいのは、よくあるでしょう。ただ、それ以上に、夏なのに身体が冷えている人も多かったようです。冷房を効かせすぎていたり、冷たいものの飲食が増えたりして、季節と身体が合わなくなって自律神経が乱れ、免疫力が低下していくこともあるでしょう。
そしてもう一つ、過度な殺菌によって免疫力を低下させていることがあるようにも思います。部屋や空間を清潔にするのは必要なことですが、清潔にしすぎるのも考えものです。
雑なるものの大切さ
菌やウイルスを除去しようと手指に消毒スプレーをかけすぎて、手荒れを起こしている人を見かけたことはありませんか。洗浄力の強いボディソープで身体をゴシゴシ洗いすぎ、ちょっとした刺激で炎症を起こしやすくなるのも、これと似たようなことです。私たちの皮膚には、身体を守る常在菌という雑菌がいます。こうした無数の細菌に守られて、私たちの生命は成り立っています。それを過度に洗い流したり、除菌したりしてしまうことで、身体のバリア機能が弱まってしまうのです。
「腸まで届く乳酸菌」というCMがあるように、良質な腸内細菌は健康に役立ちます。菌の存在なくしては食べたものを消化できません。過度な殺菌は、私たちに必要な細菌まで弱め、ひいては生命力をも弱めてしまいます。
除菌・抗菌を謳い文句にした商品が多く出回っていますが、これらを使い過ぎれば悪い菌だけでなく、人間に必要な味方をしてくれる菌までも弱めてしまいます。清潔にすることが問題なのではなく、やり過ぎることで身体を守る機能を衰えさせるのです。病院や治療院のなかにも、「室内の空気を殺菌」「浮遊菌を抑える」などの感染対策を売りにしているところがありますが、雑菌を弱める環境で生命力を高める治療ができるのか疑問です。私たちは細菌、雑菌に生かされていることを忘れてはなりません。
多様性を認め合うことが求められている現代社会。それは異なる背景や特徴を持つ人々が共存し、互いに尊重し合う社会です。もう少し大きく見れば、雑多な生物が共存する生態系に関連します。「雑」なものを大切にすることが多様性につながるように思えます。
生活でいえば、清潔な布巾は必要だけど、どこでも拭き取る「雑巾」も不可欠です。専門的な知識は頼りになるけど、「雑学」があるから面白い。専門書は大切だけれど、思考の枠を広げたり、考え方の柔軟性を与えてくれたりする「雑誌」も必要。仕事をするうえでないがしろにしてはいけないのは「雑用」。決して目立つことはなくとも、「雑」なるものに支えられて私たちの生活があります。同じように「雑菌」のおかげで、私たちの生命も成り立つのです。
とらわれないココロ
禅の言葉に「月白風清」とあります。「月白」は白く美しく輝く月であり、「風清」は涼しくさっぱりとした秋の風。月明りの美しい秋の静かな夜の風情ということ。境地と悟ったあとの清々しさ、わだかまりのない気持ち、とらわれのない心を意味します。本当にきれいなものは、求めてつくられるものではありません。ただ、あるがままで清らかなのです。
あるがまま、それ以上ないくらいに清々しいことが大切です。自分の都合で必要ないものを排除してしまうのは、とらわれの心。「清潔にしなければいけない」というのも思い込みかもしれません。必要のないものは無理に排除しようとしなくとも、必要がなくなればいなくなる。それくらい清らかな心でいたいものですね。