生きていれば、病気が見つかったり、再発がわかったりして、落ち込むこともあるでしょう。
「人生って、ゲームですね」。そう言った人がおられます。すごろくゲームでいうところの、「2マスすすむ」があれば、「1回やすむ」もあるし、「3マスもどる」こともある。人生がそれと同じようなものだと思えたら、可笑しくなってきたのだとか。現実の人生でも、さまざまなことが起こる。その都度向き合って乗り越え、絶妙なタイミングでまた人との出会いもある。そんなふうに考えられたら不安がなくなっていったそうです。その受け止める力が素晴らしいと思いますし、病気を抱えていても日々をイキイキと過ごしていけるのは、こういう人なんだろうなと感じます。
明らかに極める
一方、「玄米食が良いと知って10年以上続けてきた。健康に良いと言われることをいくつもやってきた。それなのに、こんな病気になるなんて」と嘆く人もおられます。「それだけやってきたからこそ、いままで元気に過ごしてこられたんですね」と声をかけてみます。「確かに……。やってなかったらもっと早くに病気になっていたかもしれませんね」と、すぐに切り替えられる人もおられます。取り組んできたという事実と、そこからの受け取り方と、過去の解釈を変えることができる人は、未来も変えられるように思います。
生きている限り、やがては老いて、病むこともあり、いつかは死んでいく。仏教でいう「生・老・病・死」の四苦は、皆にやってくるもので、逃れようとしても逃れられないものです。
「諦める」とは、「明らかに極める」こと。ハッキリしている物事を、その通りだと受け入れること。やる気を失ってしまうことではありません。ただ長生きしようとするのではなく、いつかやってくるその日までの一日一日を丁寧に生きるということでしょう。受け入れられずに嘆いてばかりというのでは、その想いは「念」として残る「残念」な生き方となりかねないでしょう。
遊園地のジェットコースターは平坦だったら面白くありません。暗いところに入った後には明るいところへと出ていくし、下がった後には上がっていくから楽しいのです。なにも病気や生き方に限ったことではなく、学校での勉強や仕事でも同じことが言えます。どんなにがんばっても結果が出ずに苦しいこともある。一方で、そんなにがんばったつもりはなくても良い結果がもたらされたり、周りの人から引き立てられたりすることもあるでしょう。
委ねてみること
自分の意志で避けられるものもあるし、避けられないものもあります。避けられるものならば避けたいけれど、どんなにもがいても避けられないものだってあるのです。
禅の言葉に、「任運自在」とあります。自分ではどうしようもない大きな流れや運命に、すべてをお任せして身を委ね、思いのままで自らが在るということ。変えられない運と出合ったときには、その流れに身を任せてしまう。我慢するのでもなく、ただただ流れに身を委ねることです。いつまでも嘆いているというのでは、言ってみれば流れに逆らっていることになります。流れに任せることで、心が穏やかに、軽やかにいられるということなのです。
人生のなかには運の流れがあります。良い運が流れるときもあれば、悪運に見舞われることもあるでしょう。一つ言えることは、その流れはいつまでも続くことはないということです。流れに抗うのではなく、気持ちを切り替えて流れに身を任せてみる。ただ悲観しているよりも、次にやるべきことに必死になれる。深刻な感情から、真剣な気持ちになれる。切り替える力を養いたいものです。