ふと気になった道具を手に取り、手入れする。不思議なことに、手を入れた道具がすぐ後に必要となることも珍しくありません。道具へのいたわりが、次への最善の準備だったりもする。道具を使う人にとって、共通する心構えではないでしょうか。
プロ野球選手がグローブやバットを手入れするように、ほかのスポーツ選手も道具を大切にします。音楽家も自分の楽器に時間をかけて手入れする人は多いでしょう。どの世界でもきっと同じなのでしょう。
ただきれいに整えるだけでなく、ときには気になるところに手を加え、自分なりに加工することもあります。私の師匠は道具に手を加えることの多い人でしたので、その影響は大きいようです。自分が使う道具を自分が手入れするのは当たり前ですし、自分に合うように手を加えて自分に馴染むものとなっていくのです。
治療家にとっては、道具を大切にすることは患者さんを大切にすることにつながります。それは自分自身を大切にすることにもつながります。師匠からの教えは道具の使い方ではなく、道具との向き合い方、そして生き方であったと感じています。
徒弟制度のいま
「ちゃんこが染みてきたな」。相撲の世界では、入門した力士が稽古に励み、精神的にも肉体的にも強くなっていく様子を誉め言葉として、このように表現するそうです。相撲界に馴染んできたことは体格で一目瞭然。さらにはそれぞれの相撲部屋ごとの「型」のようなものが身についてきたことも表しています。「ちゃんこ」と表現するあたりが、相撲部屋ごとの秘伝の味を食べて身体をつくりあげていくようでもあります。稽古だけでなく、寝食をともにする「型」があることで染みつくのも早いのかもしれません。
最近では、企業でも「メンター制度」を導入するところがあると聞きます。新入社員や後輩に対し、上司による指示とは別に、先輩社員が指導やアドバイスをする人材育成手法。指示や命令ではなく、対話によって気づかせ新入社員の自発的・自律的な成長を促す方法です。新入社員の離職を防ぐだけでなく、先輩社員のリーダーシップの成長にもつながるということで取り入れる企業が増えているようです。
徒弟制度はすでに過去のものとして消えてしまったと思われるかもしれません。だけどもこうして姿を変えて残っていくのは、人と人との関係においては不可欠なものなのでしょう。
染みつく術
仕事や物事の進め方は「やり方」として身につけるのではなく、「生き方」の基礎として染みついていくものかもしれません。
禅の言葉に「花弄香衣満(はなをろうすれば、かおりころもにみつ)」とあります。花と戯れていると衣が花の香りで満たされる。いつの間にやら花と自分とが同じ香りを放っていることに気づかされる。それは、自分と他者という分別を超え、自他がひとつになった境地ともいえます。人間というものは、その交わる人や環境によって影響され、その品性は高尚にも下品にもなりうるということになります。良い人・良い環境に巡り合うことができ、そこに自分の身を置くことで、いつの間にか自分も良くなっていくことを意味しています。良き師についていれば、知らぬうちにその立ち居ふるまいは自分の身につく。師を真似することは、本物への一歩となるのです。
自身の行動を変えれば、良い影響を与えてくれる人・良い環境が自然と寄ってくるかもしれません。良いものに触れる。良いと知ったら、真似をする。それが馴染んで、良い人となるための一歩一歩の歩みとしたいですね。