「入試の結果をお伝えしたくて手紙を書きました。無事に合格しました。直前に体を診てくださったおかげで、いつもの力が発揮できたと思っています」。
入試を終えた生徒さんから、手紙が届きました。春の到来を感じます。親御さんから後で聞いたところでは、「自分が報告するから、お母さんは(先生に)電話せんといてな」と言っていたそうです。合格結果も嬉しいですが、それ以上にわざわざ自分で知らせてくれたのが嬉しいですね。
入学試験、まだこれからが本番という人も、現在は結果待ちという人もおられることでしょう。それぞれの春を願っています。
散るのもサクラ
かつて、「サクラサク」と電報で届くのが合格通知代わりでした。現在のようにインターネットなどなく、電話も多くの人が一斉に使うとパンクし、手紙では日数がかかる。東京へ入試を受けに出た地方の学生たちは、合格発表の掲示を見るために上京できない。そんな学生のために、1950年代に始まった合格通知のサービスが広がったようです。
ちなみに、不合格通知は「サクラチル」。桜が散って春が終わる。「(花が)咲かず」でなく「(つぼみが)開かず」でもなく「散る」と表現することで、一度は春がやってきたことを感じさせます。体調を崩すことなく入試本番を迎えられたこと、その日に向かって努力してきた日々。桜が咲き続けることはできなかったけれど、ほんのひととき春を迎えられたと讃えているようで、「サクラチル」は美しい日本語表現だと私は思います。
学生を終える人にとっては、春は就職の季節。就職内定を辞退する連絡を学生本人がせず、親が代わりにすることが話題になったことがあります。もしかすると、こうした学生は自分にとって不都合な連絡をするのが初めての経験だったのかもしれません。そもそも自分からだれかに連絡をすることに慣れていなかったのではと推測します。
その意味では、まずは子どもにとって好都合なことを自分からだれかに連絡させてみるといいでしょう。たとえば、小学校で読書感想文が表彰されたとか、絵を褒められたとか、跳び箱が跳べたとか。小さな「うれしいこと」をおじいちゃんやおばあちゃんに電話させてみる。そうやって好都合なことから始め、なにか「こと」があればだれかに連絡するのを習慣化させていく。やがて、好都合であれ、不都合であれ、親に頼らずとも自分で連絡するようになるでしょう。好都合なことから始めて、不都合なことも平気になる。これも陰陽論でいう陰と陽のバランスなのです。
素直な心で磨かれる
「サクラサク」も「サクラチル」も、あくまでも試験結果のひとつ。嬉しい悲しいの一時的な感情はあっても、それで人生の幸不幸まで決まるものでもありません。
禅の言葉に「直心是道場」とあります。真っ直ぐな心があれば、どこもが道場。素直な心でいれば、どこででも自分を磨くことができるのです。どこかにある建物とか、修行に適した道場とか、そういう特別な所ではない。直心という執着を離れた浄らかな心でいられること。そのときどきの状況に応じ、素直にあるがままを認め、そこでやるべきことをやるのです。
合否の結果に振り回されるのではなく、春まで努力し続けられた自分を認める。そして、いま、目の前にあることに一生懸命に取り組む。その積み重ねは、いつか「あのおかげで」と言えるときにつながります。
だれにとっても、春は春。それぞれ自分の居場所で輝けますように。