どんな自分でもOKで、受けとめてもらえる。そんな存在や場所があることで、人は安心してその人本来の可能性を育むことができます。
私が大切にしている、英語でいう「nurture」という言葉には、まさにその意味が込められています。種に水や光、栄養を与えるように、その人の魂の種を育てる。私の活動の根底には、この思想があります。
だからまずは、どんな相手であっても「そうなんだね」と受けとめることから始めるよう心がけています。否定や批判から入らないし、肯定や褒めからも入らない。ただ、「そうなんだね」と、まず一度、まるごと受容する。それが私の基本姿勢です。もちろん、うまくいかない日もありますが。
私の芯を呼び覚ます人
そんな私が、定期的に会いに行く「怖いけど会いたくなる人」が、二人います。「怖い」と言っても、その人たちが厳しいから怖いわけではありません。
むしろ自然体で、無邪気で(天然っぽい⁉)、とてもチャーミングな方々です。そして、その飾らない真っ直ぐなお人柄こそが、多くの人に信頼され、魅了される理由なのだと思います。
でも、私はそのお二人に会うとき、必ずと言っていいほど、背筋がすっと伸びるような軽い緊張感を覚えます。いいえ、自然とそうしたくなる感覚なのです。それこそが、お二人に「怖いけど会いたくなる」理由です。
お一人目は、私のイメージコンサルタントであるS先生。美しさとたおやかさ、そして凛とした存在感を兼ね備えた女性で、外見だけでなく、「どう生きるか」「どうこの世界と関わるか」といった人生全体に対して、高い美意識を持っている方です。
S先生に会う日は、私自身がどう在るかを見つめ直す日になります。言葉づかい、姿勢、しぐさ、服装。どれもが、内面から「真・善・美」を表すものでありたいと自然に思えてきて、自分のなかの背骨がすっと通る。そんな時間です。
もう一人は、私にとってビジネスの兄貴的な存在、Yさん。複数の事業を手がけ、国内外に三桁億円を超える売上を生み出してきた多才な経営者です。
たとえば法務関係や事業戦略、不動産、相続など、困難な壁にぶつかったとき、私はこの兄貴に相談します。するとたいていのことには、30秒以内に明快な答えが返ってくるのです。経験に裏打ちされた判断の速さと、迷いのないクラリティ。その前では、言い訳をしようという気すら起きません。私の肚の浅さやキレの悪さが一気に露わになる瞬間です。
けれども、その痛みがまた私を整えてくれます。背筋を伸ばし、「もう一度、目の前の現実に向き合おう」と思えるようになる。そんな存在なのです。
存在で人を育てる
S先生とYさんに共通するのは、「生き様の重力」。それは、言葉はもちろん、ただそこに在るだけで伝わってくる存在の深み、とも言えます。ご自身の専門領域に真っ直ぐ向き合い、人生を探究してきた方たちだからこそ、その姿勢の積み重ねが、言葉と背中に力と奥行きを宿しているのでしょう。私はお会いするたび、その重力に打たれ、自然と姿勢を正すのです。
その緊張感は恐れではなく、自分を見直したくなるような「いい緊張」です。自分の芯と、もう一度つながり直すような、そんな感覚。背筋を伸ばすという身体の反応が、それを表してくれている気がします。
なんでも受け容れてもらえる場所も大切。だけど、背筋が自然と伸びるような存在も、同じくらい大切。どちらが欠けても、きっと人は育たないのではないでしょうか。
あなたの人生には、そんなふうに背筋を伸ばしたくなる存在、いますか?