前号まで、何回かにわたってインクルーシブ教育についてご紹介してきました。このテーマについては、まだ続きがあるのですが、今号は、別の話題を取り上げたいと思います。
具体的に取り上げるのは、先日訪れた大阪・関西万博についてです。
中心と周縁
ご存じの方も多いと思いますが、今回の万博会場には、1周が約2キロメートルの木造建築物「大屋根リング」が設置され、主にその内側に、多数のパビリオンなどが設けられています。
私は、その会場を歩くうちに、中心が周縁に存在するような感覚を覚えました。つまり、形としては周縁に設置された大屋根リングが、実質的には、万博の中心であるように感じられたのです。
このことは、大屋根リングだけではなく、万博のキャラクターであるミャクミャクとも通じるところがあるようにも思えました。ミャクミャクもまた、あの赤い環にこそ命が宿っているように思えるからです(血流を連想させる点で、文字通りの「命」でもあるでしょう)。
他方で、パビリオンなどは、人の多さもあいまって、大屋根リングの内側に、窮屈に押し込められているような印象を受けました。そして、そのことは、参加者が、落ち着いてパビリオンを鑑賞することを難しくしているようにも思えました。
その一方で、内側と比較すると、大屋根リングには静けさがあるため、大屋根リングの上は、自己の体験を反芻し、対話することを可能とする緩衝地帯となっているように思えました。
大屋根リングの意義
大屋根リング上では、はるか遠くで同じリング上を歩く人たちを観ることができ、そのことによって、その場に集まった人たちと同じイベントを共有している感覚が芽生えたように思えました。
また、リングのまるい形状と対面の遠さ、そして参加者の歩行により形成される流れは、どこか地球を想起させるようでもありました。180度向こう側を歩く人たちの小さな姿は、地球の裏側で生きている人たちの姿と重なり合うようにも感じられました。
のみならず、リングの大きさや形状は、空間だけでなく、時間の揺らぎをも生み出しているように感じました。つまり、途切れることのないリングは、人類や地球の歩みを感じさせるようでもありました。それゆえ、リング上を歩くことにより、過去にこの地球で生きてきた人たちや、将来の世代の人たちとなにかを共有しているような感覚をも覚えました。
日没後、暖かい光を発する大屋根リングが水面に映る様は美しく、古代ローマのコロッセオを思わせるようでもありました。夜間、一時的に内側のパビリオンなどの光を消して(あるいは暗くして)、大屋根リングの静かな美しさだけが会場に現出する時間があれば、今回の万博は、いっそう参加者の心に残るものになったのではないかとも思います。
ともあれ、ここまで書いてきて、私は、万博の中心は大屋根リングであるという冒頭の考えを、以下のように改めようと思います。
万博の中心は参加者の想像力であり、それに命を与えたのが大屋根リングだったのではなかろうか、と。
課題
大屋根リングの意義はさておき、今回の万博は、基本的には国民国家を前提として構成されていると思います。こうした国民国家を前提とする万博の在り方については、慎重に検証する必要があると思います。
また、万博の社会的・経済的・歴史的意義や、環境影響等についても、別途考察する必要があるでしょう。
