前号では、「インクルーシブ教育」の概念と、1994年にスペインのサラマンカで開催された「特別なニーズ教育に関する世界会議」において採択された「サラマンカ宣言」について、ご紹介しました。
今号からは、戦後の日本における障害児教育について、ご紹介したいと思います。
教育を受ける権利
障害児教育についてご紹介する前提として、まずは憲法の規定を確認しておきたいと思います。
教育の権利については、憲法26条1項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定められています。
また、憲法26条2項においては、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。普通教育は、これを無償とする」と規定されています。
さらに、これに関して、最高裁判所は、重要な解釈を示しています。具体的には、最高裁判所は、憲法26条につき、「この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる」と述べています(最高裁判所昭和51年5月21日判決)。
障害児教育について検討するにあたっては、こうした憲法26条の規定やこれに関する判例を踏まえておく必要があるでしょう。
学校教育法制定と障害児教育
1947、学校教育法が制定されました。
制定当時、同法において、障害児は普通教育ではなく、特殊教育を受けることとされました。
具体的には、当時の学校教育法71条において、「盲学校、聾学校又は養護学校は、夫々盲者、聾者又は精神薄弱、身体不自由その他心身に故障のある者に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施し、併せてその欠陥を補うために、必要な知識技能を授けることを目的とする」と定められていました。そして、障害児は、障害の種類と程度によって、就学先が画一的に決められることとされました。
これを受け、盲学校と聾学校については、小学部、中学部につき、それぞれ設置の義務化が1948年4月1日、1954年4月1日とされました。
他方、「精神薄弱児」や「身体不自由児」が教育を受ける場とされた養護学校については、ただちに全国にこれを設置することが困難であったことから、設置の義務化に時間を要し、1973年になって、ようやく施行期日が1979年4月1日と定められました。
すなわち、学校教育法制定から30年以上もの間、養護学校への通学が想定されていた障害児については、就学猶予または免除の対象となり、就学できないという状態が生じていたのです。
このように、障害児が養護学校での教育を受けられない状態が続いたことにつき、憲法判断を示した判例はないようですが、憲法26条により保障された教育を受ける権利が侵害されていたことから、憲法違反の状態にあったと評価できると思われます。
他方、養護学校の設置義務化までの間、各地の取組みにより、障害児が地域の学校に就学し、普通教育を受けるという実例もありました。特に関西地域では、多くの障害児が地域の学校に就学していたと言われています。