この夏は終わりが見えないほどの猛暑が続き、8月末ごろに私は体調を崩してしまった。発熱はなく、わずかな上気道の違和感から症状が始まった。自分で対処を試みたものの、今回はなかなか治りきらず、回復までに長い時間を要した。発熱してくれれば、ケアして休むことを自分に与えられる。しかし、発熱がなかったために休むタイミングが遅れ、かえって回復に時間を要する状態に陥ってしまったのだ。
少し回復しては診療に戻り、疲労を感じると悪化するという悪循環を繰り返した。今思えば、お盆のころ、熟睡できないと感じていた。すでに身体は異変を訴えていたのである。
私の喉の症状は、漢方的には、胃、三焦(炎症が深く入る領域)、心臓、腎臓の経絡が関係するといわれる。五臓六腑のどこに問題の背景があるかによって、必要なアプローチは異なってくる。今回は、通常ではなかなか陥らない三焦の深い炎症に至り、スムーズに改善できなかったがゆえに、病がこじれた「壊病」に近い状態になっていた。さらに、炎症が落ち着けば回復できるはずなのに、すっきりできず苦悩が続いた。鍼灸師である母に相談し、気虚(気が不足した状態)、気滞(気の巡りが滞った状態)、気鬱(気の滞りによる憂鬱な状態)にまで至っていることに気づけたのである。ひどい炎症が続いた結果、心身がここまで疲弊したのだと納得でき、ほっとした。
漢方では、夏の暑さが続くと五臓六腑の心臓に影響が出るといわれている。鍼灸の古典『素問霊枢』には、夏は発汗や排泄が活発になるが、うまく発散しきれないと、秋の変化を感じるころに下痢や胃腸炎になりやすいと記されている。また、夏の間に胸に熱がこもり、心臓の負担が大きいと、秋に咳が出たり、肺を病みやすいとも記載がある。さらに、この状態を秋に治さずに長引かせると、冬に重い病に繋がる可能性もあるという。
暑さや湿度の影響を受け、心臓がうまく対処しきれず、夏の終わりごろに肺を病んだ結果が、上気道のひどい炎症となって現れたのだと理解した。もし、初期に発熱し、ゆっくり休養をとっていたら、もう少し軽快は容易であっただろう。思った以上に夏の暑さや湿度による心身の疲弊が強かったことを、身をもって思い知ったのである。
また、今回は不調が極まり、驚くほど眠れなくなってしまった。だからこそ、回復にも時間がかかったのだろう。眠りは最良の治療である。だが、今回のように熱が上へ上がりきっている状態では眠れないことを、痛いほど実感した。
看護師であり鍼灸師の知人から、「肺は気を束ねる臓器であり、頭によぎるさまざまな心配事も、睡眠不足の要因なのではないか」と示唆をもらった。また、「思い悩めば脾胃を病む」と、漢方ではいわれる。一人で診療所を営んでいるため、知らぬ間にどこかで煩悶し気を消耗しすぎ、無理を重ねていたのかもしれない。
今回は、「もう少し、これからは自分を楽にして楽しんで過ごしていきなさい」という、心身からの強烈なメッセージであったように感じる。以前スリランカのアーユルヴェーダの医師に、「昼間にはちゃんとゆっくり休憩をして、ご飯を食べる時間も大切ですね」と指摘されたことがある。これは私の日々の養生においては核心をつく言葉であったと、今になって痛感する。
かつて医学部の受験面接で、「自分の病弱だった経験を活かしたい」と答えた際に、「医者は弱くないといけないのですか」という意地悪な問いを受けたことがある。今なら自信を持って言える。医者は病気や弱くないといけないのではなく、どんな形であれ弱さを身をもって知ったときに、はじめて気づけるものがあると。気という目に見えない、検査でもなかなか評価しきれない部分が不調に陥ると、これほど苦しいという経験は、貴重な学びに満ちていたのである。
