学生時代に出会った外科の患者さんが、医師としての私の生き方を教えてくれた。
医学部5年生で壁にぶつかり、3ヶ月の休学を経て復帰した直後のことである。最初の臨床実習で割り振られたのは一般外科の患者さんだった。胃がんと腹部動脈瘤の手術を受けた方であった。
手術は無事成功したものの、術後に真菌による感染性眼内炎という合併症を併発してしまった。2週間という短い担当期間中、その患者さんは、私の話の聞き方や対話から、血圧の測り方、聴診の仕方、お腹の診察の仕方まで、忍耐強く付き合ってくれた。血圧計の使い方や聴診器でなにを聞くのかも、実際の患者さんではじめて確認させてもらったと記憶している。
合併症を併発した経緯から、患者さんご家族は病院側の説明に納得しつつも、事態を完全には受け止めきれない複雑な感情を抱えておられるようだった。学生の私には医師と患者さんやそのご家族の詳細なやり取りを知る由もなかった。しかし、私は担当期間が終わってもその患者さんのことがずっと気になり、入院中はほぼ毎日、様子を見に行った。当時の私にできることは、ただ心配し、心を向けることだけであった。なに一つできない自分にも悔しさを感じた記憶は、今も鮮明に残っている。
この、なに一つできないけれど苦しむ患者さんに心を向けずにはいられないという感情に気づかせてもらった瞬間こそが、私が医師になろうと決意する「スイッチ」が入ったときであった。休学するほど壁にぶつかっていたのは、目の前の苦悩する患者さんに対し、無力な自分がなに一つできないことへの葛藤であったからだ。その苦悩がなにかすらわからない自分自身に、どうしようもなくなっていたのである。それが、スムーズに前に進めなくなった理由の一つだったのだ。
その後、患者さんが無事に退院されたときには、心から一緒に喜んだ。しばらく年賀状のやり取りも続いた。
数年後、外科の先生との懇親会のときに「石井、ありがとうな。おまえのおかげで、いろいろ助かったよ」と言われた。そのときは意味がわからなかったのだが、先生曰く、必死に自分を心配し、毎日のように病室を訪ねて気にかけてくれる学生がいたことで、患者さん自身が精神的に非常に救われたとおっしゃっていたそうだ。そして、手術後の予期せぬ合併症により、当初は治療をおこなった病院や医師に不信感を抱いていた奥様も、ご主人がここで治療できて良かったと心から納得され、結果的に大きな問題に発展しなかったのだと。その言葉を聞いたとき、私は患者さんを気にかけるしかできなかったが、それがどれほど患者さんご家族にとって大きな意味を持っていたのか、改めて深く知ることができた。
私のほうが、どれほどこの方との関わりを通して、心を向けることの意味を教えてもらい、救われたか計り知れない。今の私が、目の前の患者さんの困りごとに必死で夢中になれるのは、あのとき「ケアする心」に気づけたことが始まりだと強く思う。まさに、医師としての人生のスイッチを入れてもらった瞬間であった。
このときの経験は、私が医師としてなにを大切にしていきたいのかという、揺るぎない軸を作ってくれた。それは、単に病気を治すだけでなく、患者さん一人ひとりの心に寄り添い、人間として向き合うことの大切さである。そして、一つひとつの縁で、今の私にできることはあのころより格段に増えてきた。しかし、20代や30代のようながむしゃらな働き方はできなくなったことも実感している。だからこそ、今、目の前の縁がある患者さんに対し、自分の心身を蔑ろにせず素直に心を向けていけたら、医師としても、人としても、このうえなく幸せである。