この世の中は思い通りにいかない事だらけです。仕事では突然の予定変更は当たり前ですし、プライベートでは家族といえども(家族だからこそ?)いうことを聞いてくれないものです。天候に関しても、暑かったり寒かったり、雨・雪・風・雷などのタイミングも、今じゃなくてもいいのに!と思ったことは何度もあると思います。地震などは、いつも予想もしていないときに、予想外の場所で起きます。事件や事故も突然起きます。どんなに仲の良い家族や友人でも、相手の心は読めないし、コントロールなどできません。
なにより、自分の心と体でさえも思い通りにならないものですよね。呼吸や心拍は、自律神経の働きによるものですのでコントロールできません。消化や吸収も思い通りにできません。もし、栄養の吸収をコントロールできたら、食事制限なんて必要なくなります。ウンチやオシッコも思い通りに止めたり作り出したりもできません。睡眠も、眠れないときもあれば、寝てはいけない会議ほど眠たくなります。
心は自分でコントロールできません。思考はとめどなく頭の中に現れますが、気づいたら全然関係のないことを考えていた、という経験は誰にでもあると思います。なにより思考を止めようとして止められるものではありませんよね。感情もそうです。怒ってはいけないと思っていても、怒りはフツフツと湧いてきますし、お笑い番組を見たらつい笑ってしまうこともあります。あまりにストレスが多いと、気づかないうちになぜか涙が流れていた、なんてことも起きます。
現象は「縁」によって起きる
もし自分や自我という存在がなにもコントロールできないのだとしたら、自我は一体なにをしているのでしょう。完璧な答えはわかりませんが、この世界や自分という存在を観察しているという働きがあることは確かなようです。もしかすると私たちは、ただ観察することしかできないのに、自分でなにかをやっている気になっているだけかもしれません。
仏教では、すべての現象は縁によって起きているといわれています。関係性と言い換えてもよいかもしれません。すべての現象は、この世界に存在するあらゆる物の関係性のなかで起こるべくして起きていて、自我が関与できる余地はあってもごくわずか。それにも関わらず、私たちはあらゆることを、自己責任でなんとかしなくてはならないと思っているのかもしれません。
最近気づいたのですが、自分の感情や気分も、自己責任でコントロールしなくてはいけないと思い込んでいました。それが当たり前過ぎて意識もしていなかったというのが正直な感想です。あらゆる現象が縁によって起きているのであれば、自分の気分や感情さえ、縁の働きによるものとも考えられます。極論すれば私たちの気分や感情は、縁の責任だともいうことができそうです。
実は科学もそのことを裏付けてくれています。アメリカの生理学者ベンジャミン・リベット先生が、脳の活動と筋肉の活動と人間の意図した時間を測定したところ、人が「この瞬間に決めた」と認識する0・5秒前に、すでに脳は行動を決めている、という結果が出ました。これは「人間には自由意志はなく、脳が決定したことをあたかも自分が選択したかのように感じている」可能性があるということです。
思考も感情も、縁の責任ではないかと気づいたとき、フッと緊張が緩みました。緊張が取れるということは、血流が改善し生命力がアップするということです。ここに病気を治すヒントがありそうです。その状態に近づくためのアファメーションを紹介します。
「思考も感情も、すべて宇宙におまかせ」何度も唱えていると、心がスーッと軽くなります。