「私はこうだ」と思い込んでいることで、
本当はそうではないことが意外と多いかもしれない
先日、急に声がかすれ始めて、ついには声が出なくなった。喉になにか引っかかっているような感じだった。水を飲んでも、詰まり感を出そうと咳をしても治らない。どうしたものかと考えて、強制的に出そうと大きな声を出したら、声が出るようになった。
しかし、すぐにまた声が出なくなった。困ったと思い、再び大きな声を出そうとしたら声が出た。逆に小さな声を出そうとすると、声がかすれて出なくなるのがわかった。その状況を観察していて、子どものころを思い出した。
私は子どものころ、母親と買い物に出かけたり、外食したりするのが嫌だった。母親は感じたことをそのまま声に出すタイプで、声があまりにも大きく、人の目も気にしない。スーパーや百貨店で大きな声で私の名前を呼び、外食中には、「これは食べないのか?」「これは美味しくない」など、大声で話すので周りのお客さんや店の人にも聞こえてしまうほどだ。私も我慢できず「大きい声やめて」と言うと声に感情をのせて話すので、目立って恥ずかしいだけでなく、周りの人が気を遣う雰囲気になるのも嫌だった。
私は声が小さいと思っていた。しかし、できるだけ人前では声を小さくしようと無意識にしていたことに気づいた。会話の文末が聞こえないので、妻からは「述語が聞こえない。デクレッシェンドにしないで」とよく言われていた。デクレッシェンドとは、音楽用語で「だんだん音を弱く(小さく)する」という意味だ。さすが音楽家、うまいことを言うじゃないか。
小さな声で話せなくなった私は、声を出すたびに喉やお腹、全身が震える感覚の気持ちよさを楽しんでいる。まるで身体が管楽器になったような解放感がある。ずっとこうしたかったと身体が言っているようだ。
しかし、先日、妻と買い物に行ったとき、「声が大きすぎて恥ずかしい」と言われた。ふと、「これで母親の気持ちがわかるかな」と言ったら、「お母さんは気にしてないかも」とあっさり言われた。妻にしてみれば、「デクレッシェンド*」から突然ボリューム最大の「フォルテッシモ」になった夫の声は、たまったものではないだろう。私はまだ、鳴らし始めたばかりの不器用な管楽器ということか。
※「非常に強く」を意味する音楽用語
