症状や状態によって治療だけで不十分と判断したとき、ちょっとした体操や運動、軽いストレッチなどを、ご自身で少し負荷をかけて取り組んでいただくようご提案することがあります。たいていは、「はい」と返事を受けて、具体的なやり方や取り組む時間帯を一緒に相談していきます。
一方で、すぐに「むずかしい」、「わからない」、「できない」といった反応を示す人もおられます。できれば一ヶ月、せめて一週間くらい自分なりにやってみてからならわかるのですが、試す前からそういう反応をされると、本気で治りたいのか疑問に感じてしまいます。
こちらが伝えたことがすぐその場でできるようなら、そもそもそんな症状にはなっていないはず。できないに決まっています。できないからやってみるのです。まずは取り組んでみようという姿勢になれるかどうか。だから最初の段階では、できるだけ短時間でさっとできることを考えて伝えているのです。
入れ知恵と、要らん知恵
ときどき、次に来院されたときに驚くほど悪化させている人がいます。そして、「ちゃんとやったのに」と言われるのです。なにを「ちゃんと」やったのか確認していくと、こちらが伝えたのとはまったく違うことをやっている。聞くと、「もっと良い方法があるんじゃないかと思って」ユーチューブで検索して勝手にアレンジしていたりする。最初に伝えられたことがまともにできないうちから「もっと良い方法」があるとしたら、どんなものなのか不思議です。それを「ちゃんと」とは呼びません。
こちらとしては、そのときの状態や、ときには患者さんの生活スタイル、性格まで考えて、この程度からならと判断して伝えていること。それよりも不特定多数に向けて発信しているものに誘われて、悪化させてしまう。とても残念です。
まれに成果が出ないときに、やり過ぎてしまっている人を見かけます。がんばってやればやるほど成果が出ると思うのでしょうが、それは欲というもの。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なのです。まずは、一回「できた」なら、そこで静止する秒数を延ばしてみたり、回数を増やしてみたりして、そうして少しずつチカラになっていくのです。最初のうちは、やや物足りないくらいでちょうどいい。だから続けていけるのです。
教えてもらったことがすぐにできるようなら、できるチカラがもともと自分にあったということ。もともとチカラがあったのなら、わざわざ取り組む必要などないはずです。むずかしいこともあるでしょう。むずかしいからやるのです。
わかるかわからないかではなく、「わかろうとする意志」があるかどうか。重たいものを持ち上げられたのは筋力がついたからというよりも、持ち上げたいという意志を持てたことから筋力が鍛えられたと考えられるでしょう。
水の流れがつくるもの
禅の言葉に「水到渠成」とあります。水の流れていくところには自然に溝ができる、流れ続けていけば溝は深くなっていく。目には見えなくても、かたちとしてあらわれなくても、続いていくことで確かな足跡は刻まれるということです。ものごとというのは自然とできあがっていく。大きく手を加えなくても、時がたてば自然と望んだとおりになるということです。
石のかたちがいきなり変わるほどの水流なら、すこし位置がズレれば危険ですらあります。私たちの身体でも同じことで、早く大きな変化を起こそうとすればおかしなことになりかねないとも考えられます。
水が少しずつ流れていくように、小さくとも絶え間ない努力を続けていくことを目指したいものです。
