私たちは誰かのために呼吸することができないように、
自身の呼吸を探求するしかないのかもしれない。
妻の連れ子の次女が、ときどき漫画を勧めてくれる。自身が好きなものを人に勧めたくなる気持ちはわかる。私にとっても共通の話題ができるので嬉しいのだが、私が夢中になるポイントに少し癖があるので嫌がられている。
去年、彼女に勧められたのは『鬼滅の刃』だ。この漫画には、人を食らう鬼を倒すために、全身の細胞を活性化させ、身体能力を飛躍的に向上する「全集中の呼吸」という呼吸法が何度も登場する。私はこれが漫画の世界だけの話ではないような気がしてならなかった。そこで呼吸法について調べ始めた。しかし、腹式呼吸法や丹田呼吸法、体温を調整するヨガの呼吸法などを実践してみたがどれも違和感があった。古武術をしているとわかるのだが、身体のどこにも緊張がない「脱力」している状態が、どんな状況にもすぐさま対応して動ける条件だ。どの呼吸法も身体のどこかを緊張させるか、思考で呼吸をコントロールするもので、激しく動きながらできるものではなかった。
そもそも呼吸は自然に発生するもので、誰かが決めた法則でするものではないのだろう。呼吸を法則化して呼吸「法」にすると「3秒吸って」のように呼吸が不自然なものになってしまうのではないか。もちろん法則にすることで、多くの人に伝わりやすくなる。しかし、呼吸法を実践する人に好奇心や探究心がなければ、型にはまっただけで自身のものにはできない。私たちは誰かのために呼吸することができないように、自身の呼吸を探求するしかないのかもしれない。
結局、私はいろいろな呼吸法を参考にしつつ、自身が最も楽になれる呼吸を見つけた。呼吸で身体が緩み脱力してくる。歩いていても、人と話していても、いつでもマインドフルネスの状態になれる。一番驚いたのは、私の言葉をほとんど受け取ったことのない母が私の言葉を受け取り、数十年ぶりに会話のキャッチボールができたことだ。らくなちゅらる通信でコラムを連載していた歌手でボイスアートを創ったまやはるこさんにこの話をすると、自身の呼吸ができるようになると、人の呼吸にも自然と調和できるようになり、人間関係が良くなることもあるそうだ。
次女には、漫画の内容より私の好きな呼吸の話ばかりして嫌がられることもあるが、全集中で呼吸を探求していくうちに「息が合ってくる」のだろうか。
※ボイスアートとは、自分の息や声を使いながら、心をストレッチしセルフセラピーをする心の健康法。詳しくはhttp://voiceart.jp/