起こるかどうかわからない未来を想像して心配するのではなく、
その瞬間に感じたことをやる。その延長線上に未来がある
この夏、家族全員がコロナ陽性となり、自宅療養した。39℃以上の高熱が8日間続いた。感染すると一気に体力を奪われ、場合によっては命を落とすと云われる今回の新型コロナウイルスは、世間では敵視されるらしい。しかし、私が罹患したとき、頭に浮かんだ言葉は「welcome」だった。
もともと感染することへの恐怖はない。私はなぜか5年に一度インフルエンザに感染しているのだが、不思議と環境が変化する転機であることが多い。弊社に入社したのも、インフルエンザに感染した後だった。大学で生物工学を学んでいたので、ウイルスが人間の進化に関わっていることも知っていた。感染してすぐにヒトの身体に変化が起こる可能性は低いが、もしもコロナのおかげで自分に変化が起こるのなら、描きたい絵が描けるようになって、その絵が次々に売れるようになったりしたら面白いんじゃないかと考えたりもしていた。
太古より地球に存在してきたウイルスは、地球の生態系の一部である。感染するかどうかは、天災に近いものがあると思う。たまたま感染したのなら受け入れるしかない。以前は、不安に対して先手を打つタイプだった私だが、いまでは大抵のことは、「なるようになる、人生に必要なことしか起こらない」と思っている。それには妻の存在と、ボディワークを学んだときに教わったことの影響が大きい。医療では症状の治癒がゴールになる。しかし、私のボディワークにおいてはゴールを決めることはない。結果を手放すということは、実は可能性に満ちているのだ。実際に私の経験ではボディワークのあと、アトピーの症状が消えたり、難病で一人で歩行できなかった人が自分の足で歩いて帰っていったり、想像もしなかった未来に辿り着いている。
自分の力ではどうしようもないことがある。そんなときは、地球だか宇宙だか神様だかわからないが信じて任せるしかない。ウイルスを拒むのでもなく、身体を明け渡すのでもない。なるようになると信じて受け入れつつ、自分がどんな身体でありたいかをイメージする。そうすると、お互いの存在を尊重しつつバランスが取れて軽症で終わるのではないだろうか。起こるかどうかわからない未来を想像して心配するのではなく、その瞬間に感じたことをやる。その延長線上に未来がある。その未来は、可能性に満ちているのではないだろうか。私も描きたい絵が描けるようになって次々に絵が売れる、という結果を手放さなければ。