私は空を見上げるのが好きす。夜空に輝く星々を見ていて、ふと思ったことをシェアします。
夜空に星が輝き、地上に花が咲きほこり、緑が生い茂るように。生き物が次々に新しい産声をあげ、生命を謳歌して繁殖し、死んでいくように。太陽が地上に光を届け、大空の水蒸気が集まって雨を降らし、大気の循環によって風が吹くように。地殻が動くことで大地が揺れ、大地からマグマが湧き上がって噴火し、海水の循環によって大海がうねるように。太陽が登って沈み、月が満ち欠けし、季節の星座が巡るように。宇宙で星が生まれ、ブラックホールになり、また新しい星が生まれるように。私たちが経験しているこの瞬間は、宇宙の営みのワンシーンなのだなぁとしみじみと実感しました。
天才が大発明をひらめいたり、芸術家が後世に残る作品を作ったり、私たちがネガティブに堕ちたその瞬間も、なんでもない毎日の一瞬一瞬も、すべて宇宙の営みのワンシーンだったということに気がつきました。
唯一無二で、まったく同じ瞬間は絶対に現れない、完全にオリジナルの一瞬だと思えば、すべての瞬間が、素晴らしく輝いていると感じられます。逆に、無限のように広り、永遠のように続く大宇宙のなかの、小さな銀河系の端っこにある、小さな小さな地球上に生きる、ちっぽけな自分に起きている、この一瞬の思考や感情に意味などなく無価値であるととらえることもできます。
つまり、病気の痛みや辛さも、あなただけのオンリーワンの貴重な体験だと思うこともできるし、100年後には誰の記憶にも残っていない、ちっぽけな出来事だと思うこともできます。人間関係の悩みやトラブルも、お金の悩みやトラブルも、同じように「つらくて、貴重で、無意味なこと」だと自由に思ってもいいということです。ネガティブに捉えてしまうあなたの体験そのものが、素晴らしく貴重な瞬間でもあり、まったく無価値なものでもあるのです。がんばって努力して素晴らしい賞を受賞することも、死にたくなるほどにつらい毎日を送っていることも、なんの変哲もない日々も、どのように解釈をするかはまったく自由でどう感じ取るかは自分次第です。そこに正しいも間違いもありません。
宇宙は一体で不可分
いつか宇宙に行ってみたいと夢見ていた時期もありましたが、自分自身も宇宙の構成要素だし、今自分がいる場所も宇宙そのものだったという当たり前の事実に気づきました。宇宙という「くくり」で見るとすべてのものが宇宙そのものです。一体で不可分なのです。
その一体で不可分なものを、あれとこれ、自分とそれ以外などと、分けて認識しているのが人間の自我です。分けて認識することが、善悪や優劣、上下関係などの比較を生み出し、比較が苦しさを生み出しています。
「これも宇宙の営みのワンシーン」この言葉を心に思い浮かべると、緊張が緩みます。大きな問題だと思っていたことが、「それほどでもないかも?」と思えるようになってきます。
一体で不可分な宇宙で、悩み、苦しむことさえも、宇宙の営みであると感じてみましょう。宇宙そのものである自分と、他人の言動や身の回りで起こる出来事といった外界の刺激に対する反応として、自分のなかで湧き上がった思考や感覚を同時に感じてみましょう。自分が考えて自分が感じているのではなく、宇宙が勝手にその考えや苦しさを発生させているんだなぁと感じてみましょう。
そうすることで、自分に起こっている問題が小さく、それほど深刻ではなく、いつか自然となくなっていくものだ、と感じられます。究極の深いリラックスがおとずれます。