変人と思われても、伝わらない人がいてもいい。
一人でも共感してくれる人がいたら嬉しいのだ。
人と話していると喉が締まって声が小さくなる癖がある。話の途中で相手に聞き返されたり、耳を近づけられたりするのが嫌でもがいてみるのだが、喉が締まると息苦しいので諦めてしまう。この癖がなくなり、思うように声を響かせて話すことができるようになれたら、どんなに心地よいだろうか。想像するだけで身体が喜びに震えるのを感じる。
先日、ある講座で自己紹介をする機会があった。それは参加者がペアになり自己紹介をし合うものだった。そのとき、私は相手によって伝える内容を変えていることに気がついた。例えば、ボディワーカーと言っても伝わらなさそうな男性には、デザイナーやライターと自己紹介し、心身に興味がありそうな女性には、ボディワーカーと自己紹介していたのだ。どうして私の自己紹介なのに、相手を見て伝える自分を変えてしまうのか。もっと素直に伝えたいことを伝えてみたい。
私は「身体を持つ喜び」を伝えたい。人生で多くのことを経験し成長していけるのは身体があるおかげだ。身体は辛いときも幸せを感じるときも常に一緒にいる。ストレスの多い劣悪な環境でも、身体は何とかバランスをとって平穏に過ごせるようにしてくれる。そして、身体を本気で信頼すれば身体も応えてくれる。奇跡的な治癒が起こるのを何度も見てきた。思考優位から身体優位になれば、思考に惑わされず物事の本質を見抜くことができるようになり、より良い人生の選択を迷うことなくできるようになる。身体は偉大であり、身体が持つ力をもっと使えるようになれるのだ。しかし、膝が「悪い」と身体に声をかけている人を見るたびに、信頼されていない身体の気持ちになって悲しくなる。だから、身体を持つ喜びを伝え、身体の力を存分に使える人を増やしたい。
今、読者を気にせずに伝えたいことを書いてみた。まるで数年ぶりに便通があったかのようなスッキリ感と達成感がある。私はこれまで人に伝わりやすいことだけを表現しようとしてきたのかもしれない。人に受け入れられない怖さがないわけではないが、私のなかから出てきたものを表現して人と共有してみたい。変人と思われても、伝わらない人がいてもいい。一人でも共感してくれる人がいたら嬉しいのだ。そう思えると、なんだか喉の奥が開いてくる気さえする。声を響かせて人前で歌う日もそう遠くはなさそうだ。