プレマ基金は、福島の応援をされていることを知っています。でも、私の考えでは福島はすでに人の住む場所ではないと思いますし、すでに手遅れです。福島の食品には危険を感じていますし、農家さんは気の毒ですが福島産は流通禁止にしてほしいと願っています。どうして、危険な福島を応援されるのですか?それならば希望のある宮城や岩手に何かするとか、福島の人に危険性を告知して、避難するために費用を払って欲しいです。(福岡県 Y様)
答え:
私は、この件について第一に、できるだけ正確に事態を認識することの大切さを感じています。もう一つ大切なこととしては、希望のあるなしの答えは実は私たちの心の中にあり、厳しさを含め「現状それ自体に結論はない」「答えは、私たちの反応と認識の方にある」ということをまずお伝えしたいと思います。
「福島は危険」ということですが、福島県は日本で3番目に広い面積を持つ県、ということはご存じでしょうか。実際に事故後、福島に何度か足を運んで放射線量の測定を行いますと、それこそ数メートルの違いでまったく違う数字が測定されるという事実を何度もこの目で確認しました。福島県は縦に大きく山脈によって遮られており、「浜通り地方」「中通り地方」「会津地方」と3つに分かれます。このエリアごとに風土も気候も大きく異なっており、測定の値もまったく違います。放射線量そのものは大きくエリア毎でも、また数メートル単位でもまったく違うという事実をどうしてもお伝えしたいと思います。つまり、福島には危険な場所と安全な場所とが混在しており、農産物の安全などは少なくとも生産者ごとに正確な値を測定する必要があり、”福島県産=危険”という図式にはならないということをご理解いただきたいのです。よって、プレマ基金では現在、空間および土壌や食品の放射線量の測定が可能な測定器の調達と福島エリアへの配置に注力して、風評と実際に危険かどうかの分別ができる尺度を福島の皆さんに、そして全国の皆さんに提供できるようにしようと試みています。原発事故直後に議員食堂などで「福島県産は安全だから食べましょう」というような間違ったキャンペーンが行われたことによって、かえって「福島県産はみんな危険」という印象を植え付けてしまいました。徹底した測定がもっとも大切であって、福島だからどうこう、という乱暴な論議はどちらも正しくないと思っています。
ちなみに、ある福島の有機生産者グループ(二本松市)訪問の機会に全国的に有名なさくらんぼ「佐藤錦」を食しました。この生産者さんの佐藤錦の直近測定値は30ベクレルちょっと、同時に計測された輸入バナナの測定値は40ベクレル強(核種は紙面都合で割愛)でした。私は迷わずいただきましたが、当然ながらとても美味しく、測定はいかに大切かと思うと同時に、通常は農薬を大量に使うさくらんぼ栽培をきわめて少ない農薬で栽培された佐藤錦と知り、大いに驚きました。たんに放射線量だけにとどまらず、どのような栽培であったかも、とても大切な要素であると私は考えています。農薬や化学肥料、遺伝子組み換えのことを全部リセットしてしまうかのような放射線量第一義的な知識の浸透は別の恐ろしさすら感じてしまいます。
福島は事故後、「フクシマ」とカタカナで書かれることが多く、これは原爆が投下された土地として「ヒロシマ」「ナガサキ」と表記されることがあるのに似ています。私はこのカタカナ書きは、あくまで起きた事件を海外に表明するときに限定して使われるべきだと考えています。福島県在住の方のコメントを見ている限り、自分の産まれ育った土地が「福島」ではなく、「フクシマ」と表記されることに心を痛めている方が多いのも知っています。今回の原発事故までは”福島=フクシマ=原発事故”ではなかったはずなのです。このような脳内のイメージ連鎖は恐怖とともに私たちの脳にインプットされます。私はもともとの文字、つまり福島と書きたく、この言葉のもつ意味は「福の島」……Yさんの住む「福岡」と同じ「福」の住む場所なのです。『災い転じて福となす』、日本語は素晴らしいと思います。災いは確かに起きましたが、日本人は何度も災いから立ち上がりました。福島が苦しみからまた再生する勇姿を世界の人へ希望の光として届けたい、これが私の願いなのです。