家族だからこそ問題になることもあるが、
信頼できる家族だからこそできることもあるのだろう
妻から「自己肯定感」が高すぎて、不安感を共感してもらえないとよく言われる。確かに人になにを言われても聞いていないし、人にどう思われるのかを考えて不安になることもない。しかし、自分の心が動かなければ行動を変えられないのは、不器用だなと思うときもある。
そもそも自信があるとか、自信がないとかを考えたことがない。だから、自信がないという人の気持ちがわからないのだろう。「自信」とは文字通り、「自らを信じる」と捉えると、「自信がない」とは、「自らを信じられない」ということになる。つまり「私はなにをしでかすかわからない」ということだ。そう捉えると、まるでゾンビみたいだなと思った。
人の意見に耳を貸すことは大切だと思うが、時と場合を選べるようになる必要があると思っている。人の意見をなんでも鵜呑みにして、その度に右往左往していたら、不安にもなり疲弊してしまう。それはまるで自分という手こぎボートに乗っていて、オール(自分の主導権)を人に渡したり、手放したりして、海上を漂流するしかない状態のようにも見える。
今は亡き父は建築の会社を経営していた。なぜ建築業なのかと聞くと、「地図に残る仕事をしたかった」と話していたのを覚えている。母は経理や電話対応などをして、父と一緒に働いていた。
私が中学3年生くらいになると、学校が休みのときに、父と一緒に現場に行って、足場を組み立てるのを手伝うようになった。父には職人を雇って日給を払うより、私にバイト代を払うほうが安くつくという打算もあったのかもしれない。でも、親子二人で協力して立てた足場を登って、家の屋根の上から見る木々の新緑が本当に綺麗だったし、掻いた汗を冷やす緩やかな風も気持ちよかった。母が作る弁当はあまり好きではなかったが、昼休みに屋根の上で食べると、美味しく感じるから不思議だった。そして、他人の家の屋根を踏むという、ちょっといけないことをしてるような特別感も楽しかった。
小学生のとき、両親を喜ばせたくて、「建築の勉強をして一緒に仕事をする」と話したことがある。そのとき、父からは「仕事は継がなくていい」と言われた。父も大人気ないと思うのだが、私も絶対に建築は勉強するものかと意地を張り続け、大学進学のときは、将来性がありそうな「バイオ系」の学科に進んだ。それでも父の仕事を手伝っていたのは、一緒になにかをするのが楽しかったのだろう。
大人になって自分で仕事をするようになり、家族を持つようになって、子どものころに、働いている親の姿を見られて良かったと思うようになってきている。親子で一緒に働いた経験を思い出すたびに、お腹がぽかぽかと温かくなってくる。私にとって貴重な家族の時間だったのだろう。
今は私も夫婦で一緒に編集の仕事をしている。一緒に仕事を始めたころは、互いの違いをすり合わせるのに喧嘩が絶えなかったが、それでも8年も経てば要領を得てくる。互いの得意分野をうまく組み合わせて仕事を進められるのは、ストレスが少なく楽しい。家族だからこそ問題になることもあるが、信頼できる家族だからこそできることもあるのだろう。
最近、某大手企業で宣伝の仕事をしていた長女が仕事を手伝いたいと言ってきた。ただ嬉しかった。彼女のために会社を作ろうかと思うほどだ。将来どうなるかわからないけれど、今は家族それぞれの能力が活かし合えて喜び合えたらいい。本当は跡を継いでほしかった父もそう感じていたのだろうか。いや、違うな(笑)