「あの人の言い方は正しくない」「あれはこっちよりもダメだ」。私たちは目に映るもの、心に浮かぶことすべてに、無意識に評価の目を向けています。比較し、順位をつけ、良し悪しを決めています。他人のこと、自分のこと、さらには自分の感情までも、ジャッジをしています。この思考は当たり前すぎて、呼吸をするように、休みなく続いています。
ジャッジは体に少しずつ影響を与えています。比較や評価をするたびに、脳の警報装置である扁桃体が反応し、ストレス反応が活性化されます。交感神経が優位になり、筋肉は緊張し、呼吸は浅くなります。頭がフル回転しているとき、体は常に小さな「闘争か逃走モード」になります。頭の忙しさが体に大きな影響を与えていることに、多くの人はあまり気づいていません。では、そのジャッジはいったいどこからくるのでしょう。
根本をたどると、幼いころの「お母さんの顔」にたどり着きます。お母さんと過ごす過程で、お母さんの機嫌がよくなることはやってもいいこと、悪くなることはやってはいけないこと、という価値観を受け取ります。その小さな積み重ねのなかで、善悪の価値観が心の奥深くに刷り込まれていきます。それは意識的に与えられるものではなく、日々の営みのなかで、いつのまにか染み込んでいくものです。大人になっても、私たちはその価値観をかかえたまま、世界を見て善悪のジャッジをおこなっています。
僕自身も、かつてそうでした。意識に浮かぶものすべてを比較、評価し、「より正しいこととはなにか」「本当の正義とはなにか」を問い続けていました。その姿勢は確かに、ものごとの本質を見ようとする力を与えてくれました。西洋医学を学び「その本質はどこにあるのだろう」と求めるエネルギーになりました。
そして限界を感じ「対極の世界に飛び込もう」という大きな勇気にもなりました。それが今の統合医療の道へとつながっています。得たものは確かにありましたが、ジャッジは続いていました。新しいものを見つけるたびに、次の「より正しいもの」を探してしまう。その繰り返しから、長い試行錯誤が続きました。
医学は日進月歩で発展しています。わからなかったことがわかるようになり、症状を改善する薬も次々に開発されています。いままで苦しかった症状が緩和され、それまで助からなかった命が助かるようになりました。しかし、人体を物質や部品として捉える科学的思考にも限界がある、と僕は感じました。傷が治ることや、不治の病からの回復などは、まだ未知の世界です。その答えを東洋医学や精神世界に求めました。スピリチュアルに傾倒したこともありました。玄米菜食も経験しました。それらは今も大好きですが、それだけが「正解」という考えには心の底から納得できませんでした。現在はそれらすべてのなかから、その人にあった治療法や思考法をニュートラルに提案したいと思っています。
試行錯誤の果てに、あるとき気づきが訪れました。この世界に、本当の善も本当の悪もない。すべては関係性のなかで生まれる、相対的な揺らぎに過ぎないのだなぁと。仏教ではそれを「縁起」と呼びました。老荘思想では「善が生まれるから悪が生まれ、悪が生まれるから善が生まれる」と説きました。そして近年の脳科学研究でも、マインドフルネスの「ジャッジせずありのまま観察すること」が、脳のストレスセンサーである扁桃体の興奮を静めることがわかっています。
脳の興奮が落ち着けば、自然と自律神経が整っていきます。そこですぐにできるワークとして、「自分自身に○(まる)」と思う練習をしましょう。何度も唱えていると、体がゆるみます。ゆるんだときに、それまで緊張していたことに気づきます。
