2011年10月17日、パイリン特別市の山の中にあるオウ・チェット・プラム村に小学校が開校しました。開校式に出席するために、アンコール遺跡で有名なシェムリアップを朝7時に出発し、バッタンバンで4WDに乗り換え、パイリンを経由してオウ・チェット・プラム村を目指します。何本かある村へ通じる道は、雨季に降った雨で、ほとんどが通れなくなっていました。この日シェムリアップを出発したときは、雨。パイリンでも雨が降っていれば、パイリンから山道に入るところでは車でも、バイクでも、歩いても、道がぬかるんでアクセスできない可能性があり、とても心配でした。幸運にもパイリンに雨は降っておらず、雲間から時折青空も見え、逆にとても暑苦しい天気。それでも前日に降った雨の影響で、小学校の手前4キロで車を降り、歩いて村へ向かうことになりました。そこまで村長さんが迎えに来てくれていました。奇跡的に、小学校までの道は少しずつ乾いてきていたので、歩くことはできました。しかし、この道を4キロ歩くのは、簡単ではありません。暑さのなか、村は近いようで、なかなかたどり着けません。内戦時代にクメール・ルージュの拠点となっていた村の向こうに見える山は、近くに見えているのに、まるで逃げていくようでした。車が村にアクセス出来ない理由は、他にもありました。村の中にかかる2つの橋が、雨で増水して流されてしまっていたのです。
一歩一歩歩いて、ようやく見えてきた小学校には、多くの人々の協力と努力が詰まっており、とても感慨深いものがありました。この小学校に寄附をしてくださったのは、鹿児島県の(株)トータルハウジング様で、オウ・チェット・プラム村とは、不思議な縁でつながりました。トータルハウジング様は以前、カンボジアで別のNGO団体へ井戸の寄附をされたことがあったそうですが、どうも実際に建設されていなかったことがあったそうです。そこで小学校の建設のときも、テラ・ルネッサンスから資料をお送りし、2~3年前からやり取りをさせて頂きました。社長の渡邊氏は、建設工事の地鎮祭にもお越しくださいました。そして建設を始めようとした矢先の今年2月、当初建設を予定していたバッタンバン州の村で、村人たちと現地の有力者との間で土地紛争が勃発し、別の村での建設に計画を変更しなければなりませんでした。このとき変更先となったのが、オウ・チェット・プラム村でした。しかし、この村での建設が始まってからも、雨季に入ってしまい村へアクセスする道が悪くなったため、建設資材が一部運び込めず、2ヶ月ほど工事は中断しなければなりませんでした。そして6月の雨が少なくなった時期を見計らって、村人たちに道を整備してもらい、また建設資材を村人たちが協力して、建設地まで運び込んでくれました。
こうして建設資材が運び込まれた後は、ようやく建設を進めることができるようになりました。ある日、現地スタッフが村を訪れると、背の高い欧米人とその通訳らしいカンボジア人が、小学校の建設作業地で写真を撮っていました。この土地の地雷撤去をした地雷撤去団体The
Halo Trustのスタッフでした。彼らに言われたのは、「ここで小学校を建設してくれて、とても感謝している」との言葉でした。この安全になった土地に小学校を建てることで、さらに多くの子どもたちが学校へ通い、安心して勉強でき、土地が有効に利用されるので、地雷撤去をした価値がさらに大きくなるというのです。
寄附をしてくださった皆さまや村人たち、地雷撤去団体のスタッフなど、多くの人たちが関わって完成したのがこの小学校です。村人たちが用意してくれた昼食を村で食べた後、午後2時半、いよいよ開校式のスタートです。小学校には多くの村人たちや子どもたちが、花道を作って迎えてくれました。「オックン(カンボジア語でありがとう)、オックン」と、次々と笑顔で声をかけられます。以前の小学校は、壁がない掘っ立て小屋。雨がふれば、雨水が学校の中に入ってくるので、授業はできませんでした。完成した小学校では、子どもたち240名が勉強します。テラ・ルネッサンスでは、建設して終わりではなく、多くの人たちの想いが詰まってできた小学校が子どもたちのために最大限使われるよう、今後も見守っていくつもりです。
江角泰(えずみ たい)
江角泰(えずみ たい)氏 NPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事業担当者。 大学時代に、NGO地雷ゼロ宮崎のメンバーとして参加した「テラ・ルネッサンスのカンボジア・スタディツアー」が、テラルネッサンスとの出会い。 現在は、カンボジアにおける地雷問題に取り組む他、弊社が進めるラオス支援活動も担当中。 NPO法人テラ・ルネッサンス >> Premaラオスプロジェクト >> |