きのくに子どもの村通信より
教育学史の巨星たち(2)
学校法人きのくに子どもの村学園 〒911-0003 福井県勝山市北谷町河合5-3 |
すべては他がために ペスタロッチ
Johann Heinrich Pestalozzi 1746-1827
ペスタロッチ。スイスの教育実践家。一部の研究者は、「ペスタロッチー」と表記。フランス革命後の混乱の中で、スイスの片田舎で孤児や貧民の子などの教育に従事した。活躍の舞台として、ノイホーフ、シュタンツ、イフェルドン、ブルクドルフが有名である。活躍の場所は、スイス各地にまたがる。
●あなたは外国の教育家の中で、だれの影響をいちばん多く受けましたか。
このように尋ねられたら、皆さんはどの名前をあげられるだろうか。きのくに子どもの村の関係者なら「ニイル」という人が多いかもしれない。しかし、いわゆる教育現場の先生たちの間では、飛び抜けてペスタロッチである。ルソー、デューイ、フレーベルなどがその後に続く。ニイルも何とかベストテンにはいるが、ペスタロッチには遠く及ばない。
ペスタロッチの著作は難解だ。しかも彼の思想は生涯不変というわけでもない。現場の先生たちの心を打つのは、必ずしも彼の理論ではない。むしろその情熱と信念と愛に満ちた教師としての生涯なのだ。
●スイスの聖人、孤児の父
ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチは、1746年にスイスのチューリッヒに生まれた。5歳で父を亡くし、母と家政婦に育てられる。夢見る傾向の強い少年だったが、やがてカレッジに進み、徳による社会改革という生涯変わらぬ視点を得る。
23歳で土地を買って農場経営に乗り出し、28歳の時に孤児や貧しい子どもを引き取って、その農場に学校という性格を加える。労働そのものによる人間教育と、読み書き算の初歩教授、そして道徳教育や宗教教育をおこなった。しかし彼の事業は、いろいろな原因が重なって5年後には破綻してしまう。
その後しばらく著述活動をしていたペスタロッチは、1978年に政府の委託を受けてシュタンツに孤児院を開き、献身的に世話をする。
孤児と寝食を共にし、だれより遅く寝て、だれよりも早く起きた。しかしここも1年足らずで閉鎖され、やがて彼はブルクドルフの小学校の教師となり(後に校長)、80歳近くまでその職にとどまる。しかし晩年は学園内の対立などのために、心休まる時がなかったようだ。彼の生涯はその墓碑銘によく表されている。「…すべては他がために為し、おのがためには何事も為さず…」
●人間性への陶冶
「玉座にあっても草屋根のかげに住まっても同じ人間、その人間の本質とは何か。」ペスタロッチの最初の著作『隠者の夕暮』の冒頭の有名な一節だ。人間は、身分や財産に関係なく、一人ひとりが、その使命の遂行によって、道徳的完成に至らねばならないと説く。
人間性への信頼と個人の権利の高らかな宣言の書だといってもよい。しかし彼は、その人間性が自然に完成されると楽天的に信じたわけではない。むしろ我々が動物的状態から、社会的状態をこえ、さらに道徳的状態へと陶冶されるには、意図的で周到に計画された教育が必要だと考える。道徳的状態とは、エゴイズムが克服され、愛が実行される状態だ。
●直感のABC
ペスタロッチは、道徳的完成を教育の唯一の目的と考えたわけではない。道徳的陶冶と技術の教授と知性の教育の三位一体が大事だと説く。心、手、頭の教育の調和した「全人」を教育の目標とするのだ。
彼は、知性教授の方法についても、独創的な提案をしている。つまり抽象的な知識の伝達や、文字と理屈による教育を急いではならない。知的陶冶は、感性または生き生きとした直観を基礎に持つのでなくてはいけない(おそらくルソーの影響だ)。
子どもは事物を「数」と「形」と「ことば」の要素に分けて認識する時、はっきりした概念を獲得する。ペスタロッチは、これを直感のABCと名付けた。
ペスタロッチは、知的教授を子どもの認識、あるいは心理的特性にそくして計画することによって、近代教授方法学の端緒を開いたといえる。
●生活が陶冶する
これは晩年の『白鳥の歌』をつらぬく基本的な考えである。教育は、苦痛や脅しの排除はいうまでもなく、抽象的な理屈やたんなる博識追究を避けて、子ども自身の生き生きした生活場面でおこなわれるべきだ。
したがって幼い子の教育は、まず母親との生活の中でおこなわれ、次第にその空間的範囲を広げていくようにしなくてはいけない。そんなわけでペスタロッチは、家庭教育、とりわけ母親との関係をすべての教育の出発点と考えていた。
教育的な生活は、一般的な生活そのものではなくて、一人ひとりの子どもが食べ、笑い、遊び、活動する具体的な空間における生活でなければならない。
ペスタロッチの書物は確かに読みにくい。解説書の類いも決して平易とはいえない。しかし彼の思想は、わかりやすく整理されて、もっともっと多くの人に紹介されるべきである。彼の愛と情熱の生涯だけが人々の印象に残るのでは、まことに勿体ない。
【おすすめの著作】
1・『隠者の夕暮・シュタンツ便り』(岩波文庫)
2・『白鳥の歌』(玉川大学出版部)