きのくに子どもの村通信より
学校法人きのくに子どもの村学園 かつやま子どもの村小・中学校 かつやま子どもの村小・中学校の教育目標は「自由な子ども」です。生き生きとし、好奇心旺盛で、集団生活に必要なマナーを身につけている子どもです。〒911-0003 福井県勝山市北谷町河合5-3 TEL 0779-83-1550 FAX 0779-83-1833 http://www.kinokuni.ac.jp/katsuyama/ |
●叱らずにはいられぬ人
もう二十年近く前のことである。私がまだ大阪市立大学にいた頃の話だ。研究室で幼児教室を開いていた。おもちゃ作り、料理、そして絵本作りが主な活動で、見本はあるが、作り方は自分で考える。これが大原則だ。子どもたちはすごく熱心に、たくましく制作に励んだ。このときに得たハウツーが、子どもの村の基本原則の起源である。
母親教室も併設していた。話を聞いたり、本を読んだり、子どもと一緒に作ったりしてもらった。多くの母親は、日頃の育児態度の問題点に気づき、しあわせな親子関係をきずいていった。しかし中には変わりにくい人もいた。
Aさんはその典型だ。「うちの子は…」と愚痴がとまらない。もちろん子どもに対しては、小言の連続だ。口癖は「叱ってはいけないのわかってるんですが…」である。「いい子ですよ」と何度いってあげても、頑張っている様子をビデオで見せても「そんなはずは……。堀先生の前だけ…」と譲ろうとはしない。
●問題の子ども問題の親
子どもの悪いところばかり目に付く。他人がほめてくれるとムキになって否定する。こういう人はなかなか変わらない。なぜだろう。この疑問を解く鍵は、ニイルのことばに見つかる。
「困った子というのは、実は不幸な子である。彼は内心で自分自身とたたかっている。その結果として外界とたたかう。」
つまり無意識の深層で、本来もっている生命力と、生後に外界から与えられて内面化した超自我とが葛藤している。こういう子は、不安、緊張、自己否定感に悩んでいる。不幸なのだ。
右のニイルのことばは、次のように続く。
「困った大人も同じ船に乗っている。」
叱らずにはいられない大人も困った大人だ。自分では気づかない抑圧と自己否定感に支配されている。感情的に不目由なのだ。冒頭のAさんもその一人であることが、後になって判明した。子どもの頃に、母親から「お前はダメな子だ」と口汚く叱られ続けた不幸な人だったのだ。そのまた母親も同じような人だったのだろう。
●自己決定の力をつける
叱るというのは、いかに弁明しても相手を否定する行為だ。しかも「大人は道徳的に正しい」という前提に立っている。倫理規範の代理人を自任している。しかしニイルのように子どもの自己決定の力を信じる人は、子ども目身による問題の認識と解決を大事にする。サマーヒルでミーティングが学校生活の中心にあるのはそのためだ。もちろん大人が子どもの困った行為に言及することは
ある。しかし道徳の代弁者として叱るのではない。「それは困る」とか、「ほかの子に迷惑がかかっているようだよ」と気づいてもらう言い方である。
●叱らずにすませるコツ
叱らずにいられない人は不幸だ。しかし、内面の不自由からの自己解放は簡単ではない。そこで「子どもを叱らずに済ませるための五か条」を紹介しよう。
(1)子どもを抱っこしよう。
子どもを抱きしめ、背中をとんとんしている時に小言をいう気になる人は、まずいない。
(2)肯定的評価
子どもの言動をプラスの面から見てあげる。約束に十分遅れた子には
「十分しか遅れなかったね」といおう。
(3)道徳の代弁者をやめる
「よい、わるい」をいわない。その行為がほかの人に迷惑がかかっていることに気がついてくれれば十分だ。
(4)私メッセージ
善悪の理屈をはなれて、正直に自分の気持ちを伝えよう。「ダメ!」とか「悪い子だ」とはいわないで、「それは困るんだよ。何とかして欲しいな」といおう。
(5)能動的な聞き方
カウンセリングの反復法の技法だ。子どもの訴えや不満や抗弁を、そのまま確認して返す。子どもは自分が受容されているのを感じる。また自分で解決策に到達することが少なくない。最後にもう一度。
叱らずにいられる人は幸福だ。