きのくに子どもの村通信より
学校法人きのくに子どもの村学園 〒911-0003 福井県勝山市北谷町河合5-3 |
すべての因習と迷信と偽善から解放された時、その時はじめて、われわれは教育のある人間になったといえるのだ(A Dominie’s Log,1915)
むりやり勉強させられない。規則や行事の計画は話し合って決める。多数決では校長も5歳の子も同じ一票。先生と呼ばれる大人がいない。寮があって楽しく共同生活をしている。教科書を使わない。工作や理科や劇などが大事な勉強…。
こどもの村のこんな基本方針は、イギリスのサマーヒルスクールをモデルにしている。サマーヒルとはどんな学校なのだろう。創立者のニイルは、なぜこういう学校を始めたのだろう。
世界で一番自由な学校
サマーヒルでは授業への出席を強制されない。極端な子は6年間、一度も出なかった。出欠自由の授業は、自分自身の生き方をする自由の象徴だ(しかし多くの子は、14歳頃になると学力検定試験の準備を始める)。
大人も子どもも同じ一票を行使するミーティングは、自治、つまり自分たち自身の生き方をする自由の中核だ。もめごとの処理、行事の計画、規則の改廃、社会問題などの議題は多い。
サマーヒルには先生と呼ばれる大人がいない。ファーストネームやニックネームで呼ばれる。大人は教えたり助けたりしてくれるありがたい存在だ。しかし心理的にも実際にも上下関係はない。1960年代~70年代の一部のフリースクールを除けば、ニイルほど子どもの自己決定を尊重した教育家はいない。
出来の悪い少年だった
ニイルは、1883年にスコットランドのフォーファーに生まれた。父親は近くの村の小学校の校長だ。学業はさっぱりであった。授業中でもポケットの中のガラクタをいじったり、空想にふけったりしていたのだ。兄弟の中で一人だけ中学校に上がれず、丁稚奉公に出ても続かないダメな子であった。父親は、仕方なく彼を見習い教師として自分の学校に採用した。当時の視学官の報告書には「この教師志望者は全学科とも学力が低い。要警告」とある。
4年の年季が明けると、見習い教師は師範学校の受験資格が得られる。しかしニイルはこれにも失敗。最下級の教師免許をもらって、2、3の学校に勤めた。自尊心の傷つく毎日であった。学校という名の畑の最低のウジ虫。これがその頃の彼の自己評価だ。しかし彼は一念発起して独学でエジンバラ大学に入学する。もうすぐ25歳であった。最初は農学部に入り、すぐに文学部にかわって、最終学年では学園誌の編集長をつとめる。文筆で身を立てようと決めたのだ。学校の教師には二度と戻らないつもりであった。
ものの見方が育つのを援助する
学生時代のニイルに大きな影響を与えたのは、既成の世界観を批判した社会主義の作家たちだ。『人形の家』や『民衆の敵』のイプセン、『人と超人』のバーナード・ショウ、『テス』のH・G・ウエルズなどだ。キリスト教道徳を酷評した哲学者ニーチェも読んだらしい。学園誌の編集長として書いた巻頭論説では、毎号、上品さや常識などが槍玉に上がっている。
1912年、大学を卒業すると、ニイルは運よく出版社と雑誌社に就職する。しかしすぐに第一次世界大戦が勃発して失職し、やむなくスコットランドに帰って、グレトナ・グリーンという村の学校の臨時校長になる(この村はロンドンからキルクハニティへの通り道にある)。
二度と教師になるまいと決めていたニイルだが、ここで「初めて教育について真剣に考え始めた」という。その考察を日記風にまとめたのが『教師の手帳』(1915)だ。上記のことばは冒頭近くの一節である。
教師の最も大切な目的は既成の知識と技術の伝達ではない。伝統的な、つまり支配者の道徳の押し付けはいけない。むしろ子ども自身が知識を発見し、ものの見方や考え方をきずく環境をつくるのが教育者の使命だ。そのために子どもを既成の価値観から解放しよう。自由な精神と強い意志をもって自らの道を歩む子ども。これが彼の理想の子ども像である。
ニイルは「精神分析の理論を教育に応用した」とか「問題児の治療に成果を上げた」とか評されることが多い。しかし彼はフロイトの心理学を知るより前に、教育の基本目的について自分の考えをほぼ確立していた。心理学は、この教育観を実践するための有力な道具となった。しかし心理学から教育哲学を得たわけではない。
ニイルの著者と参考文献 | |
1. | 『新訳ニイル選集(問題の子ども、問題の親、恐るべき学校、問題の教師、自由な子ども)』(堀真一郎訳、黎明書房) |
2. | 『ニイルのおばかさん(自伝)』(霜田、堀訳、黎明書房) |
3. | 堀真一郎『ニイルと自由な子ども』(黎明書房) |
4. | ジョン・ポッター『サマーヒル教師の手記』(文化書房博文社) |
5. | 堀真一郎編著『自由を子どもに』(文化書房博文社) |
6. | 堀真一郎編著『こんな学校もある』(文化書房博文社) |