かけがえのない家族のひとり
福ぽんが逝きました。私にとって、かけがえのない家族のひとり。金魚の仔です。
別れは、前触れもなくやってきました。朝、元気にごはんを食べていると思っていたら、その日の夕方、急に苦しそうに呼吸をし出したのです。手当ての限りを尽くしたのですが、時々刻々と目に見えて弱っていき、翌日の夕方頃、息を引き取りました。
最期の表情が忘れられません。残る全身の力を振り絞るかのように、あと一呼吸、と苦しそうに大きな口をあけたままの顔。何度キスして口を閉ざそうとしても、閉じることはできませんでした。
家族を他界させたのは久々のことで、何とかその日のうちに気力を振り絞り、治療の後片付けとお弔いは済ませたものの、その後、心労で寝込んでしまいました。
いつまで経っても、慣れない状況があります。それは、大切な命の死と対峙することです。
この世での生は、かりそめのもの。魂をさらに上の次元にシフトさせるための修行の場。
頭ではわかっていても、未熟な私には、家族の死をすぐに、そう受け止めることはできません。しばらくの間は、寂寞と痛みに苛まれます。ただ、心の隅で微かにささやく声があるのです。「ただ悲嘆にくれるだけのものだったのか、あなたの家族の生は。それだけの貧しいものだったのか――」その声が、少しずつ、私を揺り動かしていきます。「違う…福ぽんは精一杯生きた。最期の直前まで、一息呼吸することに、命を懸けて生きた!」
一呼吸に己の存在のすべてをかける―これは、解脱をめざす禅の修行における教えの、最重要とされることでもあります。私たちヒトは、金魚と比べてもどれくらいそのことに命を懸け得ているでしょうか。福ぽん、私はこれからも生きていく。あなたの分も、しっかりと一息に命を懸けられるように努めながら。一息一生。あなたは最期に、命懸けでそのことを教えてくれたね。出逢えて、家族になれて良かった。ほんとうに、ありがとう。
樋口恵理子(読者ライター1号)
東京都杉並区在住、43歳。金魚と猫が同居人。 友人の紹介でプレマの存在を知り、四捨五入すれば10年のお付き合い。 某企業の社員からフリーライターを経る中、心の病(反射型反応性精神病)を患う。一緒に暮らす家族(金魚&猫)と日々過ごしながら、社会復帰&らくなちゅらりすとを目指して奮闘中。モットーは、「全てのもの、ことにLOVE&THANKS!」 |
アレルギーはありますか。
私は花粉症歴二十年。昨年は歯科材料のアレルギーが出て、本当にひどい目にあいました。
周りを見渡しても、花粉症率は高く(中には通年花粉症の人もいたり)、何かしらの食物アレルギーを持つ人も少なくありません。
花粉症を発症した当初から、体質改善の必要を感じていたので、薬に頼らず、いいと言われるあらゆることをしましたが未だに治らないのは、私本人と同じで、私の免疫機能が無駄に働き者だからなのだと、半分あきらめています。有害ではないと言われている花粉を、暇だから(?)といって排除する仕事をもくもくとやり続けているのですから。
もちろん、対策はしっかりとっています。この季節になると「早めの対策をしましょう」なんて、天気予報を見るたびに言われたりしますが、早めって言われる頃では遅いのです。
七月の気温が杉の生育に関係があるというのを知っている人も多いと思います。数年前の猛暑の時には、通常はたいして成長しない雄花が異常に成長して、秋に花粉を撒き散らし、多くの花粉症の人を悩ませたことをおぼえていらっしゃるでしょうか。なので、七月中はだらだらと梅雨が続いたり、肌寒い日が多いと農家の人には悪いけれど、ちょっと喜んでしまいます。
そして、ほとんど知られていないと思うのですが、お盆を過ぎたら夏の食べ物をやめるということ。どんなに暑くても、スイカや生のトマトを食べたり、冷たい物を飲んだりして身体を冷やすのはやめて、身体を温める食べ物に徐々にシフト。そして、年が明けたら花粉症によいとされる中国茶を飲み、花粉が飛んだらさらにハーブ茶を飲む。これが私のたどり着いた、症状を楽にする方法です。
花粉症の皆様、がんばって辛い春を乗り切りましょう。
マスジマトモコ(読者ライター2号)
東京都江東区在住、40歳。夫と二人暮らし。 20代に読んだ環境問題の本がきっかけで破壊される地球と食文化に恐れをいだき、ほぼベジタリアンに。ストイックになったりゆるくなったりして十数年。二年前からは未来食(雑穀を主体とした穀物菜食)を本格的に勉強中。 プレマとの出会い以来は、いろんな誘惑に負けながらのお付き合い。オリジナルナチュラルスイーツレシピを日々考えながら過ごしています。 |