お産の主役は産科医でも助産師でもありません。主役は産婦と赤ちゃん、とくに赤ちゃんです。お産はなによりも赤ちゃんのためのイベントです。しかも、じっさいに赤ちゃんこそお産の主導権者なのです。
妊娠期間中、赤ちゃんはさまざまな肉体的、精神的ないとなみを日夜おこなっています。出産へむけての準備もその一環です。もとより赤ちゃんの霊魂は、出産についてもあるていどの見とおしをもって降臨してくるものです。しかしそのあとも、胎児としての自分の置かれた情況を勘案しながら、計画を練りなおしたりするのです。たとえば出生の時期を早めたり遅らせたりすることもあるし、ときには胎児としての存続を中断してしまうこともあります。出産の場所や方法についても本人なりに一定のもくろみをもつでしょう。出生の期日がちかづくと、赤ちゃんはみずからホルモンをだして母体の最終的な準備態勢を起動させます。
このように赤ちゃんじしんが出産を主導しているのであれば、その本人の意向どおりにコトが運ばれてゆくのがもっとも自然であるはずです。おとなの役割は、赤ちゃんの意向を尊重し、できるだけその意向にそうよう協力してあげることです。ところが現状はどうでしょう。おとなたちは、協力どころか、赤ちゃんをなんの意志ももたない肉のかたまりであるかのようにみなして、勝手に出産日を決めたり薬剤や器具を用いて強引に取り上げたりするのです。赤ちゃん本人の計画に逆らうこのような出産のありかたは、当然ながら赤ちゃんと母体の生理におおきな歪みをもたらさずにはおかないでしょう。
ではわたしたちは、どのようにすれば赤ちゃんの意向にそうことができるのでしょうか。
一般的にいえることは、できるかぎり医療的な技術にたよらず、自然のなりゆきにまかせることです。たとえば、予定日を何日すぎようと、陣痛がどれほど弱かろうと、なりゆきにまかせてひたすら待つのです。これはむかしの産婆や助産婦が営々と実行してきたことです。
ただし、そのようなおおざっぱな一般論だけでは、個々の赤ちゃんの特別な要望にこたえることはできません。個々の赤ちゃんの特別な要望にこたえるためには、まず当の赤ちゃんの要望を把握しなければなりません。当の赤ちゃんの要望を把握するためには、その本人から情報を得なければなりません。赤ちゃんとの通信の必要性がここでも浮かびあがってくるのです。
赤ちゃんとの通信の方法としては、その霊的な意識と直接に対話するのが最良です。情報の質も量もこれがいちばんです。通常、母親が瞑想状態になって赤ちゃんに呼びかけることで交流が可能になります。この方法が困難であるようなら、物理的な反応を求める質疑応答によって情報を得る方法もあります。子宮壁へのノックというかたちで赤ちゃんに応答してもらうのです。これならだれにでもできます。むろん前者の方法と後者の方法をあわせて活用することもできます。
ところで、ここでひとつ覚悟しておかなければならないことがあります。それは、なかば霊的な存在である赤ちゃんの発想がときとしてこの社会の常識を超えてしまうことです。たとえば、赤ちゃんは出産の場として自宅をえらび、しかも助産師の立ち会いさえ拒むかもしれません。またたとえば、赤ちゃんは生きてうまれることを望まないかもしれません。それでもわたしたちはそうした意向を尊重し、できるかぎり協力しようとつとめなければなりません。もちろん本人との話し合いによって折り合う余地はありますが。
生きてうまれないなどというのは、たいていのひとにとってとうてい受けいれがたいでしょう。けれども、ほんらい、ひとの本質は霊魂です。霊魂は不滅であって、死ぬことはけっしてありません。この世にはただかりそめの修行にきているだけです。子宮のなかだけの人生も、百歳までの人生も、修行という点では同格です。重要なのは修行の成果であって、生きた時間のながさではありません。
とはいえ、そんな霊的な価値観などこの社会では通用しません。それゆえ、赤ちゃんの意向にそった支援をすることが、ときとしてこの社会の常識や法律との軋轢を生じることをも覚悟しておかなければならないのです。
いつの日にか、この社会が偏狭な科学教の迷信から解放されて、霊的な価値観を基盤とするようになることを願うばかりです。そのあかつきには、助産師も立ち会わない家族だけの自宅出産(プライベート出産)も、選択肢のひとつとしてふたたび日の目をみることになるでしょう。
(終)
さかのまこと
さかのまこと氏 自然哲学者。 慶応義塾大学文学部卒業。東北大学大学院博士課程修了。国語国文学を専攻とし、大学教授等を経歴。プレマ(株)代表中川のインドでの知己であり、常務佐々田の恩師でもある。また、生物学から宗教学にいたるまで幅広い関心領域をもち、夫婦だけで2人の娘のプライベート出産をおこなう。著書に『あなたにもできる自然出産―夫婦で読むお産の知識』等。 |