現在、ほとんどの産婦が病院で出産します。ごく少数が助産院で、さらに少数が自宅で、助産師の介助によって出産します。じつはこれらのほかに、もうひとつ、特殊なかたちの出産があります。それは、助産師の介助も受けない自宅出産です。
他人をまじえない内輪だけの出産という意味で、この自宅出産を「プライベート出産」とも称します。たいていは夫婦だけの出産となります。産婦単独の出産になることもあります。こうした出産は反社会的な行為です。
〔産科医療の体制のなかで出産するべし〕という社会のおきてに反しているからです。
医師や助産師の介助によって出産するばあいには、産科学にもとづいた医療マニュアルが適用されます。この医療マニュアルは、すべての学問・科学や教育がそうであるように、あくまでひとつの流儀、ひとつの信仰にすぎません。そのひとつの流儀・信仰にだれもが従うよう強制されているわけです。もし、この医療マニュアルに違和感をもち、その強制から自由でありたいとのぞむなら、――可能な方途はただひとつ、プライベート出産しかありません。
内輪だけの出産というと、世間ではとんでもないことのように思いがちです。けれども、ヒトをふくめすべての胎生動物はその「とんでもないこと」をえんえんとくりかえしながら生き継いできたのです。もとより出産は自然現象です。それは自然そのものの自然ないとなみであり、赤ちゃんはたいてい自然に生まれてくるものです。
くつろぎが自然な出産のための鍵をにぎるという点においても、プライベート出産の利点はあきらかです。住みなれた自宅で家族だけでリラックスして出産することがどれだけ分娩や育児の助けになるか、産科医には想像することもできないでしょう。
それならプライベート出産はいいことずくめなのかというと、けっしてそうではありません。むしろたいへんなことのほうがおおいのです。
この文明社会では、子どもを産むにふさわしい場所もないし、母体には出産に適する体力も知力も精神力もじゅうぶんそなわってはいません。出産のための本能も衰退してしまっています。だれもが化学物質等によって汚染されていて、なにかと正常な機能を発揮できなくなっています。にわか仕立てで自然出産にふさわしい環境と能力をそなえようとすることはきわめて困難です。要するにわたしたちは無介助出産に向いていないのです。プライベートな出産にどれだけのメリットがあるにしても、ときとして問題が生じることは避けられません。しかも、プライベート出産をするひとは社会的に孤立無援です。医療的にも法的にも疎外されていて助けが得られません。産科医は飛び入りの急患などまず受け入れません。プライベート出産で問題が生じたばあいには通常以上に深刻な事態におちいりかねないのです。
そうしたマイナス面の深刻さからして、現状では、プライベート出産は推奨できるものではありません。(拙著『あなたにもできる自然出産』は、無介助出産のための準備や出生届などについて解説しているので、あたかもそうした出産をすすめているかのように受けとられがちです。けれども、前書きでも「けっしてプライベート出産をすすめているわけではありません」と明記しているように、わたしはプライベート出産を推奨してはいないのです。)
最近実施されはじめた「無過失補償制度」は、出産時の事故で子どもが脳性マヒになったばあいに、総計三千万円が親に支給されるというものです。その種の事故はむろん無介助出産でも起きますが、そこでは補償金は一円もでません。このことも、プライベート出産を不利にする要素として特記しなければならなくなりました。今後、プライベート出産はいっそう非現実的な選択となってゆくことでしょう。
現行の医療体制のなかでは、プライベート出産はみとめられなくて当然です。しかし、みとめられないままでよいというわけではありません。医療の支援を受けながらも無介助出産のかけがえない利点を生かすことができる、そのような道をわたしたちは模索してゆくべきでしょう。プライベート出産こそ、自然出産の原型であり理想型なのですから。
さかのまこと
さかのまこと氏 自然哲学者。 慶応義塾大学文学部卒業。東北大学大学院博士課程修了。国語国文学を専攻とし、大学教授等を経歴。プレマ(株)代表中川のインドでの知己であり、常務佐々田の恩師でもある。また、生物学から宗教学にいたるまで幅広い関心領域をもち、夫婦だけで2人の娘のプライベート出産をおこなう。著書に『あなたにもできる自然出産―夫婦で読むお産の知識』等。 |