「家庭と仕事のバリアフリー」。
世の多くの男性にとって悩みの種。そして女性のテーマであるこの命題。私がうまくコメントできる立場にないことを承知しつつ、少し考察してみたいのです。
もともと、京都という場所には職住が一緒になっている町衆文化がありました。勤め人として外に出なくてもよい仕事のスタイルが一般的だったのです。私の実家は昔、西陣織の帯を織っていたようで、私が生まれたときにはすでに廃業していましたが、織機の残骸が家に残っていました。
そして現代。この町も他と大きくは変わらず、やはり働くとは外に出ることを意味するのが一般的です。今はプレマでも女性が大活躍し、女性もまた、多くの場合、外の職場で働く現実があります。
極論を言うつもりは毛頭ありませんから、また家で働いて下さい、女性は家にいて下さい、または男はもっと家にいなさい、とだけ云うのは現実的ではありません。
そこで提案。皆さんの職場の経営者、もしくは決定権のある方にお願いをしてみて欲しいのです。『年に数回でいいから、家族を呼んでもいい会社の行事を是非、考えてみて下さい』と。それは運動会でも、海水浴でも、社員旅行でも、忘年会・・・何でも良いのです。
家で待つ人は、外で働いている人がどのような環境で何を成し、誰と一緒に頑張っているのかが見えません。逆に、外にいると家のなかのことは全く見えなくなるのは当たり前なのです。年に数度でいいから、働く人の家族だれもが、職場の人たちと出会う機会があれば、それはどんなに素晴らしいでしょうか。
あらゆる産業・職業は、必ず家庭とどこかで繋がっています。一見、生活と関係なく見える職業でさえ、必ず食べ、寝て、笑い、悲しみをともにする家庭の暮らしと、そこに住む家族と繋がっているはずです。企業はそこに何らかの価値を提供して、貨幣経済は成り立っています。どれだけ社会が複雑化しても、この事実だけは変わりません。ならば、働く場所、人が家族と接点を持つことはごく自然なことだと思います。そして必ずそれは会社にも、個人にも数々の効果を生み出してくれるのではないでしょうか。
男の時代、女の時代を超えてゆくために、仕事は家庭とバリアフリーになる必要を感じています。