2010年11月、クラスター爆弾禁止条約の最初の締約国会議が、ラオスの首都ビエンチャンで開催されました。まず何よりも、普段注目を浴びることの少ないラオスで会議が開催されたことは、とても大きな意味があったと思います。120ヵ国から政府代表団約1000人がラオスを訪れ、ニュース記者らがこの会議を報道したことは、世界一被害が大きいといわれながらあまり知られていなかったラオスの不発弾の問題を、世界中の人に知ってもらう大きな効果がありました。
会議自体は11月9日-12日の4日間でしたが、会議の合間にはNGOやラオス政府などによるサイドイベントが行われ、その中にはラオスの中でも特に被害の大きいシエンクアン県へ、政府代表団を案内するツアーも実施されました。
条約はクラスター爆弾の使用、製造、保有を禁じ、8年以内の廃棄と10年以内の不発弾除去を定めています。会議では、早期の廃棄・除去開始を明記した「ビエンチャン宣言」や、今後の活動を導く明確な行程表のある「ビエンチャン行動計画」が採択されました。会議自体は、これらの成果を生み出し、ひとまず成功に終わりました。ただ今後、この行動計画を実際の行動に移すことが一番重要です。次の外務省のページで、詳しい内容を、ぜひご覧ください。
ビエンチャン宣言(仮訳)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/%5C/gaiko/arms/cluster/1011_ky.html
ビエンチャン行動計画(仮訳)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/%5C/gaiko/arms/cluster/1011_kk.html
ラオスでは、ベトナム戦争から40年近く経った今でも、平均で毎年約300名の不発弾による死傷者が出ています。今年の10月にはシエンクアン県ペック郡ヌアントン村で、不発弾が爆発し、裏庭で暖をとるためにたき火をしていたラドンさんが、この爆発により失明し、体も負傷したほか、小指も失う、という事故が起こりました。
そして、この会議の開催中も悲しい事故が起きたことが、ラオス政府から伝えられました。会議2日目の10日、ボリカムサイ県で15歳と10歳の2人の姉妹が下校途中、道端の草むらにクラスター爆弾の子爆弾を見つけました。拾い上げた妹が放り投げると爆発し、2人の姉妹は全身に破片を浴びました。姉のペンさんは、爆発後に妹が血を吐くのが聞こえて、助けが来るまで妹をずっと抱きしめていたといいます。事故のことを聞かれた彼女は泣き出してしまったそうです。2人ともその日のうちにビエンチャンの病院まで運ばれ、治療を受けましたが、爆弾の破片を全身に浴びていて、妹は亡くなりました。ペンさんも膝や胴体、首にも破片を浴びていて、治療を受けていますが、安定した状態です。ただ、首に刺さった破片は、一生取り除けないそうです。この事故のニュースは会議場に伝えられ、そして会議最終日の11月12日付の現地新聞ビエンチャン・タイムズでは、このニュースが1面で報道されました。新聞は、会議場でも無料で配布され、大きな衝撃が走りました。
悲しい事故は、不発弾撤去をしない限り、今後も続いて起こる可能性が高いのです。「ビエンチャン行動計画」、「ビエンチャン宣言」は、こうした悲しい事故が繰り返されないようにするために、「クラスター爆弾ゼロ」の理想を実際の行動に移していくための重要な計画です。
テラ・ルネッサンスでも、来年からさらにラオスでのクラスター爆弾問題、不発弾の問題に力を入れていく予定です。この会議では、様々なクラスター爆弾に関する活動を実施しているNGOや政府関係者が集まっており、現在のラオスでの支援の全体像を知ることができました。わずか0・4%しか撤去できていないといわれる不発弾撤去とともに、被害者の支援が明らかに不十分であり、来年初めにさらなる現場調査を行う予定です。クラスター爆弾ゼロのために「展望から行動へ」、まさに移す時です。
江角泰(えずみ たい)
江角泰(えずみ たい)氏 NPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事業担当者。 大学時代に、NGO地雷ゼロ宮崎のメンバーとして参加した「テラ・ルネッサンスのカンボジア・スタディツアー」が、テラルネッサンスとの出会い。 現在は、カンボジアにおける地雷問題に取り組む他、弊社が進めるラオス支援活動も担当中。 |