結婚して東京で暮らし始めて2年と少し。そして、旦那さんと、義母・義姉との同居4人暮らしが始まって2年と少し。結婚前は母や友人から「東京行くの? しかも同居?」「大丈夫なん? 最初は良くても後々大変え?」などなど、結婚後の生活についてそれはそれは心配をされた。当の私はというと、「まぁなんとかなるし、始まってないことを心配してもしゃーないし、限られた選択肢のなかで旦那さんと私が一番良いと思ったんやし、なにより、どこでどんな暮らしが待ってようと、私は私。だから大丈夫やし!」と、こんな感じだった。
実際に東京で暮らしてみて感じたことは、「なんや、京都にいるときとなんも変わらへんなぁ。空気が汚くて、人が多くて、鴨川がないこと以外はほとんど一緒やわぁ」ということだった。
しかし、21歳のときから一人暮らしを始め、十数年ぶりに誰かと共同生活をしてみると、【普通】が全然違うことにリアルに気付かされた。たとえば言葉のニュアンスの違い。焼き芋が大好きな私が、旦那さんと買い物に行って焼き芋を買って帰って家で喜んでいると、義母から「なに騒いでるのぉ?」と言われる。騒ぐ? そうかこれは「騒ぐ」なのか。私は「はしゃいで」いたのだが、こっちでは「騒ぐ」になるのか。また、食べ物の違い。ほとんどおつけもん(お漬物)を食べない家庭で育った私にとって、食卓に必ずたくあんのある生活は新鮮だった。あげればキリがないほど【普通】が違った。よくよく考えると、血のつながっている家族でさえも【普通】が違うのだから当然で、それは頭ではわかっていたが、現実に体感すると違いだらけで驚いた。
他人と違うことが(なぜか)恥ずかしいとされる世の中だが、実は他人と違うことだらけ! これに気付いてしまった私は、「なんでそんなことするん? 普通はこうするやん?」と言われても、「普通ってなに?」と【普通の人】と会話が成立しなくなってしまった。違って当たり前、それが普通。【普通】にしなきゃと誰かに無理して合わせる必要なんてなにもない。この気付きは東京に来てからの大きな収穫であり、生き方の転換点でもあったと思う。
そして、プレマルシェ・ジェラテリアに出会えたことも、この転換期に生き方を間違えずに進めた大切な出来事だった。中目黒店で一人、京都弁を話す私を受け入れてくださる皆さんに感謝。
そしてなによりも、突拍子もなく奇妙な妻であり嫁であり義妹である私を、受け入れ一緒に暮らしてくれている家族に本当に感謝している。ありがとう。
プレマルシェ・ジェラテリア
中目黒駅前店 店長
小室 美穂(こむろ みほ)
京都生まれ東京暮らし3年目。趣味は料理&お菓子のレシピ本集め。作ったことがないレシピ本が本棚にいっぱいあるけど、読んで満足しています。家で旦那さんと変なダンスをしているときが最高に幸せなこのごろ。