2022年3月、40代半ばにて大学院を卒業しました。4年前、「知らないということを、もっと知りたい」という実に曖昧な、でも強い欲望に抗うことができなくなった私は、社会人として長期履修の大学院生活にチャレンジしてみることにしました。入試時の面接では、「卒業後、なにをする予定か?」と質問され、「学んでみないとわかりません」と正直に答えたのですが、一人の面接官の顔が曇り、落ちたかな?と思ったことを今でも覚えています。
ありがたいことに、「学んだ後でしか、その後のことはわからない」というスタンスも受け入れられたようで、無事ご縁をいただくことができました。せっかく正直に自分の思いを伝え受け入れてもらったのだから、時間とルールが許す限り、社会的に求められているとか、卒業後役に立ちそうとか、人脈形成とか、そういったことよりも、自分の興味に素直に時間割を組み立てようと決めました。最大限自分の内側に沿って学ぶことでなにを感じるのか、変わるのか体験したかったのです。
私の時間割は、持続可能性やサービスに関するビジネス科目を多数含んだものから、同じビジネスに関連する科目でも心理学、哲学、宗教学、教授法、といった、どちらかというと、パーソナルで無形でかつ内向き方向の科目が増えていきました。渦が外側から中心に向かって巻いていくように、自分の興味関心の「先」と「源」へ向かっていくのを感じていました。この感覚は、20年以上前の大学卒業時にはまったく感じたことのない感覚で、出産のときの感覚だったことには卒業後に気がつきました。
出産時、私は妊娠前から母の24時間体制の在宅介護中でしたので、助産院で陣痛が最終段階に進むそのときまで、自分の外側に意識が向いていました。しかし、出産という圧倒的な流れのなかで、意識の渦は逆回転を始めます。私の意識はある時点から、内側でまさに産まれようとするエネルギーと、どこか深い深い源に近づき、無になっていく感覚に占領されていきました。まさか出産のときのこの感覚と、大学院で学びを深めていく感覚が似ているなんて、体験する前に想像することは不可能でした。
4年を通じて、知識や技術を得ることと、体験してその感覚を味わうことには決定的な差があることを改めて感じています。もし今、この学びをどう生かしていくか質問されたら、と考えてみましたが、今度は、「やってみないとわかりません」と答える気がしています。
海外事業部
久野 真希子(くの まきこ)
汗をかくとアトピーが悪化するので運動を避けてきた私。屋久島トレッキングを目的に筋トレ継続に初成功。筋肉量「少」から丸2年で「標準」に! サボり可、やれるときにやるだけでOKとハードル下げたのが良かったみたいです。