この歳になってわかったことですが、世の中には心配性な人や怖がりな人は案外多くいらっしゃるようです。そういう僕も実はビビリです。認めたくなくて、大丈夫なふりをしてきました。内心は「もし〜だったらどうしよう」「〜かもしれない(ガクガクブルブル)」と大変な状態にならないために、ああしなきゃ、こうしなきゃと気持ちが落ち着きませんでした。最近は「どうしよう」が始まる一方、心のどこかで「どうにかなるだろう」と思っている自分もいるので、気持ちが落ち着きやすくなっています。そう思える明確な理由があるわけではありませんが、なんとなく「根拠のない自信」がついてきたのではないかと感じています。
私たちが完全に安心できるのはどういう状態でしょうか? 物事の波風が立たず、周りの人が常に優しく、金銭的に余裕があり、不測の事態が起きることなく、過去の失敗や辛さを思い出さず、未来への安定したレールが引かれているという状態でしょうか。もしこういう状態がキープできるなら、安心して生きていけそうですね。僕もそんな世界に住んでみたいものです。でも、おそらく実現不可能なことですよね。残念なことに、この世の中は物事の波風は立つし、周りの人はいつ機嫌が悪くなるかわからないし、お金は十分にあると思えないし、台風や地震は忘れたころにやってくるし、過去の失敗や辛さを思い出してしまうし、未来への安定したレールなんてあった試しがありません。叶わない「安心」を願うことは、実は、強欲なことかもしれません。理想が高過ぎるので、現実とのギャップが大き過ぎて、その分、不安が増しているのです。「ちゃんと、きちんと、こうあるべき」が全部整っていないと安心できないものですが、それはとっても強欲だったんだなぁということに気づくだけで、少し気持ちが楽になるのではないでしょうか。
コントロールできるものはない
この世界は、常に混沌としていて、一秒先に起きることもだれにもわかりません。自分のことさえコントロールできません。「いやいや自分の思考は自分で考えていますよ」と思っている方がいるかもしれませんが、では、思考を止めることはできますか? コントロールできるということは、思考するのもしないのも自由自在なはずです。でも、人間は思考しないということは特殊な場合を除いて不可能です。私たちには、なに一つ、確かにコントロールできるものがありません。その事実を認めていくと「どうしようもないのかぁ、なるようにしかならないかぁ」と思えるようになっていきます。
生命は、38億年前に初めて地球上に現れたバクテリアからはじまり、5億3千万年前の「カンブリア紀の生命大爆発」などの進化を経て、30万年前にホモ・サピエンスが生まれたといわれています。わたしたちは38億年前から一度も途切れずに命を繋いで、今ここに生きています。その間、天変地異も何度も経験したでしょうが、しぶとく生き抜いてきたのです。38億年間一切途切れていないって、超絶すごいことだと思いませんか?
生き物は努力して何者かになろうとしなくても、ちゃんと生きていけるようにできています。赤ちゃんは、成長したい!と思わなくても勝手に成長しますよね。努力しよう、がんばろうと思っているということは、その裏側に「努力やがんばりがないと、ちゃんと成長できない、そのままの自分ではだめだ」という自己否定があるということです。数十年のちっぽけな経験を手放して、38億年の生命の大いなる営みに身を任せましょう。コントロールしようとすることは、大いなる流れを拒絶すること。コントロールを手放すと、今までの常識では考えられないようなことが起きるかもしれませんが、大丈夫です。流れに抵抗しないことが生命力を最も高める生き方ですから。