夜、気づけば蝉ではなくコオロギや鈴虫の声が聞こえる季節になってきました。異常気象が続いているとはいえ、着実に季節の変化は進んでいると感じます。
前回、だれもが宇宙意識をもっているという話を書きました。今回は少しその話を進めていきたいと思います。例として「辻占」という占いをご紹介します。偶然を利用するのですが、経験的によく当たります。具体的にはスマホのメモアプリに、知りたいことをメモしておきます。占うときは夜です。交差点(四辻)に立って以下の祝詞を心のなかで3回唱えます。
「行く人の四辻のうらの言の葉に うらかたしらせ、辻占の神」
そうして「話しながら通り過ぎた人」の3組目の人の言葉から吉凶を占うというものです。先ほど記録したメモとよく比べてみてください。なんらかの助言が得られることでしょう。
これ自体は面白いことですが、よく考えるととても深淵な仕組みです。3組目の会話をあなたに聞かせる存在はなんなのでしょうか? 確かに祝詞には「辻占の神」という神様の名前が出ています。しかし、すべての交差点に神様がいるわけでもなければ、あなたが密かに唱えた祝詞を聞きつけてスタンバイしていた神様が飛んでくるわけでもないでしょう。単なる偶然と捉える方法はもっとも頭を使わなくていい解釈です。この占いの動作原理は「自分と外界は切り離されたものだ」という考え方にNOをつきつけていることです。私たちが感じている自分というものはあやふやな存在です。例えば、腕や頭が自分かというと、他の部分が気になって自分とは言い切れないし、数年経つと体の細胞はすべて入れ替わるといいます。しかし、自分は自明のこととして存在し続けています。そして、自分というもののサイズは変わります。例えば、大声でしゃべっているグループにいて他人から注意をされると、自分が文句を言われたと感じます。仕事で商談に行けば「弊社に持ち帰って」「ウチで話し合って」など自分だと認識するサイズは明らかに変わります。また、「ウチのチームでは」とか「◯◯課の結束は堅い」などと小さなグループを自分だと認識を変えます。逆に職場で「あの人ってさぁ」と悪口を言い、極端な場合は親、兄弟に「頼んでなってもらった覚えはない」と否定することもあります。私たちはエゴに任せていると、そのときどきに応じて都合のよい「自分」を作り上げてしまいます。
エゴのしたいようにさせずに、自分を思い切り広げてみてください。人類の一部の自分、現世に生きる自分など、可能な限り大きな自分を捉えてみるのです。すると、まったく違った風景が見えてきます。周囲にあるものも同様です。ものはなにかの役割に特化していますから、やはり自分の一部とつながっています。そのつながりを含めて自分だとみなしてみてください。
可能な限り自分を大きく認識すると、まったく違う世の中の理が現れてきます。それを共時性(シンクロニシティ)と呼びます。対立する概念が因果関係です。因果関係は物事が成立するときの必須条件を指します。一方で共時性は意味に気がついた人だけが認識するという点でまったく意味合いが違います。ただし、共時性が呈示する情報は意識(エゴ)が見ているレベルよりも深いレベルです。私達の意識が見ている世界は自分の都合よくデフォルメされていますが、共時性がもたらす意味は深くエゴの洞察を超えます。自分の意識を可能な限り広げていくと、右脳がもつ宇宙意識に繋がります。それを意識的におなうことが偶然を利用した占いです。
人間は、考え方や注目点を変えるだけで、自分の波動を変えられる存在です。肉体レベルから宇宙意識まで変化させることができます。素晴らしい存在です。