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インタビュー取材しました。

ゼロから世界へ 挑み続けて道を拓く Gelateria COCO(ジェラテリアココ) 店主 佐久間 康之 氏 インタビュー

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新潟県三条市にあるジェラテリアココ。地元食材を生かした体にやさしいジェラートは多くの人に親しまれています。店主の佐久間さんは葛藤と挑戦の末に、昨年イタリアで最も権威ある国際大会「コッパ・ディ・オーロ」で日本人初優勝の快挙を遂げました。ジェラート作りの原点から未来への想いまでを伺いました。

2025年にイタリア北部ロンガローネで開催された「コッパ・ディ・オーロ」で優勝したトロフィーと共に

Gelateria COCO(ジェラテリアココ) 店主
佐久間 康之(さくま やすゆき)

新潟県三条市生まれ。 東京での会社員生活を経て、2011年に実家の豆腐製造業へUターンする。2016年に独立し、JA直売所内に「ジェラテリアココ」をオープン。新潟初のジェラートマエストロとして地産地消でナチュラルなジェラート作りを追求している。2025年、ジェラート界のオスカーとも称される世界大会「コッパ・ディ・オーロ」で日本人初の優勝 を果たす。家族や仲間の応援を支えに、故郷の豊かな食文化を世界へとつないでいる。
▶︎ https://www.instagram.com/gelateriacoco/

豆腐屋から
ジェラートの世界へ

——ジェラート職人になるまで、「食」とどうかかわっていましたか?

実家が、新潟県三条市で豆腐を製造している佐久間食品なんです。家族経営なので、子どものころからお手伝いするのが当たり前。食べものを作る現場が身近にある環境で育ちました。一方で、僕はアレルギー体質で、アレルギー性鼻炎やアトピー、結膜炎とアレルギーのオンパレードでした。だから自分の体を守るためになにを食べたらよいかということも意識せざるを得なくて、食事や健康について考えるようになったことが、今のジェラート作りにも通じています。

——大学で上京し、東京で就職されています。地元へUターンしたきっかけはなんだったのでしょう?

大学卒業後は、東京でサラリーマンをしていました。当時は警察官になりたくて、公務員試験を受けながら警備会社に勤めていたんです。都会での生活は楽しかったし、そのままいるつもりでしたが、30歳になるころから実家から「戻ってきてほしい」と言われるようになりました。正直、一年間ぐらい本当に悩みました。今の妻と同居していましたし、経営者になるということが想像もつかなくて。結局、7歳上の兄からも要望されて、2011年に戻ることにしました。

ただ、現実は甘くなかったです。サラリーマン5年分のストレスを、家業では1年で味わいましたね(笑)両親が社長と副社長で、姉が経理。僕は後継者として入りましたが、立場はあくまで平社員でした。それでもイベントに出たり経営を学んだりと、家業をより良くしたい一心で積極的に動きました。外の世界を見た僕からすると、設備の老朽化や非効率な体制など、危機感があったのですが、変えたい僕と、守りたい家族とで、足並み揃えて変化するのはなかなか難しかったです。

——そこから、どんな経緯で「ジェラテリアココ」をオープンしたのですか?

きっかけは、2016年にJ‌Aえちご中越の農産物直売所「ただいまーと」が開業するという話を聞いたことです。そこにジェラート店の出店計画があると知り、もし出店できれば、豆腐屋の売上につながるかもしれないと考えたんです。すぐに、立ち上げ担当の課長に直談判に行きました。僕は、数字を見て「いける」と判断したら即行動するタイプ。幸い、立候補したのが僕だけだったこともあり、熱意を買っていただきました。

じつはこのとき、家業の事業としてではなく、自分の会社を別に立ち上げました。家業に役立つことを願いつつも、実家と少し距離を置いて、小さくても自分の責任で判断できる場所が欲しかったんです。実際、二足のわらじで仕事をするのは想像以上に大変でしたが、結果的にその選択が今につながり、自分自身の可能性を大きく広げることになったと思います。

ただ、ジェラート作りも経営もまったくゼロからのスタートでした。アイスクリームは好きでしたが、アイスとかき氷とジェラートの違いすら知らなくて、わざわざジェラートを食べに行ったこともなかったです。だから最初は、機械の組み立て方も、材料をミキサーでどれくらい混ぜればいいのか、砂糖がどの状態まで溶ければ正解なのかもわからなかった。今思えば、売るには申し訳ないレベルだったなと思います。新しい挑戦とはいえ、まさに勢いだけで飛び込んだ感じでしたね。

地域に根ざし
挑戦し続ける日々

——開店当初、特にどんなことに苦労しましたか?

ジェラート作りが完全に独学だったことです。後からメーカーの座学を受けたり、先輩方に教わったりもしましたが、最初はなんの根拠もないまま、「これくらいかな」という自分の感覚を頼りにレシピを組んでいました。当時のジェラートの品質は、今が10とすると当時は2くらい。翌日にはガチガチに固まってしまったり、逆にショーケースでゆるゆるに溶けてしまったり。安定とはほど遠い状態でした。それでも救いだったのは、直売所という場所柄、お客さまが多かったことです。できたものがすぐに売り切れていくので、毎日たくさん作っては試し、気づいたことを取り入れて、実践しながら改良することができたんです。

ただ、最初の3年間は心身ともにかなりきつかったです。資金に余裕がないなか、製造も運営も僕一人。家族やスタッフ、関係先との調整にも神経をすり減らしました。1日20時間働いていた時期もあり、人生のドン底でしたね。でも家業も自分の会社も絶対に潰すわけにはいかない。その折れない芯があったからこそ、乗り越えられたのだと思います。

——そこから、転機となった出来事はありますか?

開店して3年経ったころ、店を任せられる優秀なスタッフが入ってくれたことで、初めて東京までジェラートの講座を受けに行きました。そこで水分率や固形分率、糖分、脂肪分、タンパク質といった項目を数値で理解できるようになり、ジェラートの見え方が一変しました。「感覚」から「科学的」な捉え方へとシフトしたんです。素材の味のバランスを計算できるようになり、フレーバーの幅も広がりました。このころ、ようやくジェラート職人としての基礎ができたように思います。

じつは僕が勝手に「お師匠」と呼ばせていただいている、憧れのジェラテリアがあります。悩んだときは足を運び、素材の扱い方からジェラートの盛り方、彩り、店のオペレーションまで、ひたすら観察して勉強させてもらいました。

あとはお客さまとのやりとりも大きかったです。「こんな味が食べたい」「もう少しこうしたら」といったリクエストをいただくと、すぐに試作してお客さんを待っていました。新しい領域を見てみたいという探究心もありますし、それで品質が上がり、お客さまに喜んでもらえて、売り上げも上がるなら、それがベスト。まっさらな状態で始めたからこそ、お客さまにもたくさん育てていただきました。

——素材選びやフレーバー開発で、大切にしていることはなんですか?

僕自身の経験から、できるだけ体に負担をかけないことを軸にしています。乳化安定剤は使わず、米粉でビスケットを作ったり、ナッツや大豆の混入の心配がないようチョコレートを自家製で作ったり。

直売所内にある店として、地元の新鮮な食材を使うことも大切にしています。生産者さんと直接話をする時間も、届いた旬の野菜や果物を前に、これをどんなジェラートにしようかと考える時間も、豊かだなと感じられます。トマトやきゅうり、アスパラガスなど野菜のフレーバーは人気ですが、そのままでは難しいので、どんな副素材と組み合わせたらおいしくなるかを考えます。たとえば隠し味にしそを使ってみたり。素材の新しい魅力を引き出すことをいつも意識しています。

——新潟初の「ジェラートマエストロ」となり、コンテストにも意欲的に参加されている、その動機はなんですか?

学生時代の部活動と似たところがあり、大会という明確な目標があるほうが向上心を保てます。最初は国内のコンテストに出場しましたが、予選落ち。今振り返ると当然で、自分になにが足りないのかすらわかっていませんでしたから。2回目は決勝まで進みましたが、入賞はできなかった。その後、初めて国際大会に挑戦したときは、まったく評価されませんでした。なめらかさや味の深さ、アロマの余韻など、なにもかもレベルが違っていて、世界の壁の高さを痛感しましたね。

でもそこで諦めるわけにはいかず、先輩方からアドバイスをいただいては、店で再現することを繰り返していました。コンテストは勝つことだけが目的ではなく、自分に足りない部分にも気づかせてくれる大切な場でもあるんです。


いつも切磋琢磨している職人仲間と

努力が結んだ
世界一の奇跡

——イタリアの権威ある国際大会「コッパ・ディ・オーロ」に出場する準備は、どのように進めましたか?

2024年の終わりに、職人仲間たちと一緒に挑戦しようと決めました。今回のお題が「マンゴー」だと発表されてからは、毎日試作して、渡航までに200回は作ったと思います。じつはこの準備期間に、飛躍的に技術が伸びたんです。優秀なスタッフさんたちが揃い、僕が研究に没頭できる環境が整ったことで、これまで書き溜めてきた膨大な知識や情報を深掘りすることができました。たとえば、国際大会では不可欠となる安定剤のことや、砂糖の種類の使い分け、ミキシングやエイジング(熟成)の法則などが、しっかり腹に落ちてきたんです。製造工程を、分子レベルで捉えられるようになったというか。するとジェラートの質も劇的に変わり、お客さまの反応も明らかに違ってきました。

——いざ現地ではどんな状況でしたか?

イタリアでは、日本から粉類と計量済みのマンゴーピューレを持ち込み、前日から当日の朝にかけてミキシングや網でこすなどの最終調整をする計画でした。迷ったのは、風味の決め手となるレモンかライムの果汁か皮か。現地で調達するつもりで、イタリアの職人に相談したら、「レモンの果汁」と即答でした。そこでシチリア産レモンを買ったのですが、実際に絞ってみると想像以上に酸味が強かった。当初のレシピでは15‌g入れる予定でしたが、これではマンゴーの味を殺してしまうと感じ、その場で7‌gに減らしました。このとっさの判断が、結果的にはよかったのだと思います。

じつはピンチもありました。借りる予定だったミキサーを借りられなくなってしまったんです。途方に暮れていたら、同行していた妻が「今からでもスーパーに行こう」と背中を押してくれました。さらに隣人に声をかけ、身振り手振りで家庭用ミキサーを貸してほしいとお願いしてくれました。彼女の勇気ある行動と、初対面の日本人に快く貸してくれたおばあちゃんのおかげで、切り抜けました。なにか一つ欠けても、この舞台には立てていなかったと思います。大会当日の朝、これまでの道のりを振り返り、思わず泣けてきました。

——優勝が決まった瞬間の心境はいかがでしたか?

優勝するとは1ミリも思っていませんでした。過去に、初出場で、しかもアジア人で優勝した人はいなかったので。10位から順に名前が呼ばれていくなか、残り4人になったとき「前に出ろ」と言われ、ドキドキしました。でも3位でも呼ばれない。会場が「1位を先に呼べ!」と盛り上がり、「ヤスユキ・サクマ!」と呼ばれた瞬間は、「えっ、まさか?」と。妻は大喜び、娘は放心状態(笑)。会場の大歓声に包まれて、夢のなかにいるような感覚でしたね。家族やスタッフ、先輩方や仲間たちの存在があったからこそ見られた景色です。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

——帰国後、周りからの反応はどうでしたか? これから挑戦したいことも教えてください。

帰国後はおかげさまで取材が相次ぎ、お客さまにもたくさん来ていただいています。なにより嬉しかったのは、小学生の娘がお友だちに「パパ、世界一なんだってね」と言われたこと。子どもたちに挑戦する姿を見せられたことが、本当によかったと思えます。

また次回のコッパ・ディ・オーロに挑戦するつもりです。今回、イタリアの伝統的なジェラートを追求する文化の奥深さを肌で感じ、あらためて僕はジェラートが好きだという気持ちを確認できました。これからも挑戦することでさらに自分の世界を広げ、成長し続けていきたいですね。先日も、仲間たちと台湾に行き、現地の世界チャンピオンと交流してきました。ジェラートは、世界の共通言語。今後も地域に根ざしながら世界とつながり、細く長く、おいしいジェラートを届けていけたら理想です。

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住所:新潟県三条市福島新田丁634-1
TEL:090-3646-0493
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定休日:毎月第1・3火曜

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