『緑の服のクマ男』
先日、京都府立文化芸術会館で、知人の出演する舞台を鑑賞しました。
鑑賞したのは、中田達幸さんが脚本・演出を、西邑由記子さんが作曲をされた創作音楽劇『緑の服のクマ男』という作品で、グリム童話の「くまの皮をきた男」を原作とするものでした。
序盤、家を追い出された少年が悪魔と契約を結びます。その契約の内容は、少年が、7年間にわたって緑のジャケットと熊の皮を着用し続け、歯も磨かず、髭も剃らず、風呂にも入らずに過ごすことができれば、幸福が授けられるというものでした。その後の展開を紹介するのは避けますが、緻密な構成や、プロのミュージシャンによる演奏、計算された照明などに魅了されました。
ところで、この舞台の出演者は、プロの役者とは限らず、むしろほとんど舞台経験のない方も少なくないようでした。しかし、そのことが逆に、舞台の一体感や、親しみやすさの一因になっているようにも感じられました。
終演後のロビーでは、出演者も観客も溢れるような笑顔を浮かべて語らっており、私もそこに身を置ける幸福を感じていました。出演者の多くは、また舞台に立つ機会を望まれるのではないかと拝察します。また、自分も舞台に立ちたいと願う観客もいらっしゃったのではないかと思います。
私は、この舞台を鑑賞し、作品に心動かされただけでなく、舞台が人と人を結びつけることや、関わる人を幸福にする力を持つことを、改めて実感することができました。
文化芸術による社会包摂
ところで、劇作家・演出家の平田オリザさんは、『寂しさへの処方箋 芸術は社会的孤立を救うか』(集英社新書)のなかで、「文化による社会包摂」の考えや、実践例を紹介されています。
例えば、ヨーロッパでは、ホームレスの方に服を提供し、美術館やコンサートに招待するといったプロジェクトが実践されているそうです。また、ヨーロッパの多くの美術館や劇場では、失業者に対する割引もおこなわれているとのことです。さらに、北欧諸国においては、失業者が、人との関係や自分の役割を感じる体験として、演劇やダンスのワークショップを受けることがあるのだそうです。
こうした営みは、文化芸術を通じて、孤立した人や苦境に立つ人を社会に包摂する作用を有し、また、そのことによって社会を安定させる機能をも担っていることでしょう。
また、平田さんは、人が孤立しないために、仕事や家族とは異なる、「人々が趣味や嗜好でつながる出入り自由な共同体」が必要であると言います。
そのような共同体は、単に人の孤立を防ぐだけでなく、人の幸福の源泉となるに違いありません。冒頭でご紹介した『緑の服のクマ男』は、そうした「緩やかな共同体」の一つだったのではないかと思います。
文化と権利
「文化による社会包摂」は、文化政策との関係で論じられることが多いのではないかと思います。
しかし、文化芸術活動が、これに参加する人や鑑賞する人を結び付け、孤立を防ぎ、さらには幸福の源泉となるのであれば、私たちが文化芸術に参加し、鑑賞することは、権利として保障されるべきであるように思えます。
こうした権利について、「文化権」という概念で論じられることはありますが、日本においては、いまだ権利として明確化されていないように思われます。少なくとも、日本の著名な憲法の教科書において、「文化権」は、憲法上の権利として位置付けられてはいないようです。
次回以降、機会があれば、「文化権」について、もう少し検討してみたいと思います。
