細胞が教えてくれること
前号では、赤ちゃんがおなかの中で声や言葉のリズムを聞き取り、生まれる前から学び始めている可能性について書きました。今号では、学びではなく、「存在そのもの」が互いの体に残るという話です。どちらも、「妊娠」は想像以上に奥深い時間なのだと教えてくれます。大抵の人にとって、妊娠期間は、人生で1度か2度しかないレアな機会です。妊婦さんには、今を味わい尽くしてほしいです。
妊娠中、へその緒でつながり、母の体の一部のような赤ちゃんは、生まれる前の学習を進めつつ、栄養や酸素を受け取りながら育ち、誕生したあと、良きタイミングでへその緒が切られます。切るタイミングは出産方法によりますが、生まれたらできるだけ早く切断する場合もあれば、つながったままでしばらく胸の上で過ごしてからパートナーが切るようなケースもあります。どのタイミングにせよ、常に一緒だった母子は、二つの体に分かれます。
ところで、妊娠中、わずかですが、胎児細胞が胎盤を通って母親の体に入り、逆に母親の細胞も赤ちゃんの体へ移動することがわかっています。しかもその細胞の一部は、出産後も何十年と体の中に残ることがあるそうです。
以前は、胎盤は母子をきっぱり隔てる壁のようなものだと考えられていました。でも実際には、小さな細胞が静かに行き来していたのです。近年は、その細胞が心臓や肝臓、脳などで見つかったという報告もあり、傷ついた組織の修復に関わっている可能性も研究されています。一方で、母親の自己免疫疾患や甲状腺の病気などとの関連を指摘する研究もあり、胎児の細胞が果たす役割については、研究が続いています。つまり実際のところはわかっていないのですが、帝王切開後の傷ついた皮膚に、赤ちゃんの細胞が集まってくるという事実。これを聞くと、お腹の中で今動いているこの子が私のどこかを癒してくれていると想像がふくらみ、さらに愛しく感じませんか。
出産は「一回目の分離」
新陳代謝で細胞は新しく生まれ変わる、数カ月もあれば新しい自分になっている、といった話もあります。だからこそ、「親子は一生つながっている」という言葉が、まさか文字通り物理的な痕跡として残っているとは、夢にも思っていませんでした。
もちろん、親子の絆は細胞だけで決まるものではありません。父親にも脳レベルの変化があるそうですし、血のつながりがなくても、血液中には、親としてのホルモン分泌が見られるとの研究があります。現実問題としても、血縁者間で、消耗しすぎるすれ違いは普通にあります。だから、細胞の行き来を「愛情の証明」のように語ることはできません。
それでも、お腹の中で交換した細胞が、その後も長い時間をともに過ごしているかもしれないと思うと、不思議な気持ちになります。妊娠すると女性が強くなると一般的にいうのは、新しい細胞をもらえているからかも。
ロケットが第一段を切り離して宇宙へ向かうように、出産は「母子が一回目の分離を迎える日」なのかもしれません。親もそこで自分でない細胞を組み込み生まれ直して、それぞれ新しい人生を歩み始めます。でも、つながりが失われるわけではない。お腹の中で交換した細胞は、その後も何十年と互いの体に残ります。祖母の細胞が孫から見つかった事例まであるそう。最新の研究は、私たちの命のつながりに、新しい意味を添えてくれます。
