「見えにくい土台」を削って、
「小綺麗な表面」だけを維持していないか?
財布から千円札を取り出してみる。独特のハリとコシがある紙幣の原料は「三椏」という植物だ。和紙の原料としても知られるが、いま紙幣に使われている三椏は9割がネパール産で、国産はわずか1割だそうだ。2009年ごろまでは国産でまかなわれていたらしい。しかし過疎化や高齢化、重労働による人手不足のため国内の供給が急減した。「原料がないなら外から安いものを入れよう」という経済合理性が働いたのだろう。もちろん、現地の貧困層の収入源になるという一面もあるのかもしれない。
だがその結果、手入れされなくなった山は荒れ果て、昨今の豪雨による土砂崩れの一因としても心配されている。では国産の原料に戻せばいいと考えても、過酷な現場を支えてきた職人はすでにいなくなっており、戻すことは簡単ではないのだ。
安い代替品に押され、生活の一部だった手仕事の品を見る機会が減った。工芸に携わる職人の多くは高齢化し、食べていくのも難しく後継者もいない。2028年には、伝統工芸の多くが姿を消してしまうと言われている。
実はこれとまったく同じ構図が、現代のITの世界でも起きているらしい。自社で若手を育てずに派遣や外注に丸投げしてきた企業の姿だ。泥臭いプログラミングや手間のかかる保守を外注すれば、短期的なコストカットはできる。しかし社員は発注と進行管理しかできなくなり、社内に「システムがどうやって動いているか」を真に理解する職人が消える。いざトラブルが起きたとき、原因の特定すらできず、自力では一行のコードも直せなくなるのだ。
伝統工芸もITも、共通しているのは、一番手間と汗がかかる「泥臭い基礎部分(一次産業や現場の手仕事、下流工程)」の価値を、目先の数字だけで安く見積もりすぎたことではないか。
このように偉そうに考えておきながら、ふと我に返る。最近の私は、日々のメール返信も資料作成も、プログラミングからデザインまでAIに頼りきりだ。「文句も言わず、優秀なAIのほうが人を雇うよりずっと安上がり」。そうほくそ笑みながらキーボードを叩いている私自身こそが、すでにこの経済合理性の罠のど真ん中にはまっているではないか。
