健康診断の結果を見ていると、視力検査で「異常あり」と指摘されている人が非常に多い。
しかし眼科的には、眼鏡などでしっかり矯正して視力1.0が出ていることが確認できれば、基本的に「問題がない」と判断する。健診では眼科の外来や眼鏡店のように細かく度数を合わせるわけではなく、普段の眼鏡やコンタクトを着けたまま、あるいは裸眼のままで測る。そのため、そもそも「眼科的な病気を見つける」という視点での検査ではないのだ。
裸眼視力が健診の基準値を下回っていたとしても、それだけでは眼科的な疾患があるとはいえない。大切なのは「なにをもって異常とするか」だ。どんなに度数を合わせても矯正視力が0・3以下であれば「弱視」などの診断に至り、1.0に届かない場合にはじめて「眼科的な問題がある」と判断する。そして、角膜から水晶体、網膜、視神経へと、手前から奥に向かって原因を探っていくのだ。健診の「裸眼視力の異常」と、医療としての「眼科的な問題」は、必ずしも一致しない。
検査の網目をすり抜ける不調
「内視鏡も、血液検査も、MRIも超音波も大きな異常はないと言われました。でも、ずっと調子が悪いんです」
そう訴える患者さんの生活は、実際には深刻な支障をきたしている。しかし、あらゆる検査結果が「異常なし」と返ってくると、多くの人は「自分が気にしすぎているだけなのだろうか」と自分を責めてしまいがちだ。
たとえば、潰瘍や舌がんといった目に見える組織の病変、あるいは口腔乾燥を伴う自己免疫疾患のシェーグレン症候群のように、明確な診断基準に当てはまるものは、西洋医学でも「異常がある=問題がある」と判断できる。しかし、そこに当てはまらない場合、西洋医学では手がかりを失ってしまうことも多い。その結果、「気持ちの問題」と片付けられ、抗不安薬や睡眠薬などで様子を見られているケースも案外少なくないのだ。
私が漢方外来を担当しているせいか、あちこちの医療機関を必死に受診しても不調の原因がわからず、疲れ切って途方に暮れている方に少なからず出会う。
地域医療や僻地医療に携わる医師の友人と、「選択肢が多いからこそ、迷子になってしまうのだろうか」と話したことがある。確かに地方や離島では受診先が限られるが、都市部ならいくらでも専門病院に通える。日本の保険診療制度のもとでは、受診そのものに困ることは少ない。
しかし、どれほど病院を巡っても、不調の本質を見抜く視点がなければ解決には辿り着けない。現代医学にもアプローチが及ばない領域は厳然と存在する。「検査で異常がないこと」と「本人に問題がないこと」はまったくの別物なのだ。
絶望のなかに、小さな希望を探す
現代医療は目覚ましい進歩を遂げているが、その反面、「まだ解明できていない領域がある」という事実は、一般にはあまり認識されていない。
手足の冷えやほてり、口や舌の灼熱感、痛みやしびれ、異常な発汗、難治性の便秘——。これらは身近に見えて検査では捉えられないことが多い。苦痛のなかで「異常なし」と告げられた患者さんが、深い絶望感を抱くのは当然だろう。けれど、それは「原因がない」のではなく、「今の検査で捉えきれない段階なだけ」ではないだろうか。
そう捉え直せるなら、心身の困りごとの根っこを探ることは、不調を通してより楽に生きるヒントを見つける貴重なチャンスになるはずだ。暗闇のなかにいる患者さんにも、もちろん自分自身にも、「そこには必ず、小さな希望の糸口がある」と静かに伝え続けていきたい。
