つい先日、仕事帰りに、思い立って映画に行くことにしました。
自分の観たい映画を観にいくなんて、数えてみたら、15年ぶりでした。
もともと単館系の映画が好きで、東京にいたころには、よく小さい映画館に座っていたことを思い出します。
映画は好きなほうですが、観た本数はあまり多くはありません。
心を掴まれると、その映画にどっぷり填まり込んでしまうので、次々と前に進めないのです。
四六時中、映画の事を考え、続編を考えたり、違うパターンを考えたりと忙しかったのです。
どっぷり填まっているときには、他のことなんて考える余裕はありません。
物心ついたときから、私の脳みそは忙しなく何か考えていて、学校の授業なんて、そっちのけでした。
今でこそ、妄想は市民権を得ましたが、当時妄想は妄想でしかなかった。
もちろん周囲とは馴染めず、孤立していましたが、ぜんぜん苦ではなかった。
映画館そのものにも好き嫌いが激しくて、気に入った映画館でないと行く気にならない。
そんな私も親になり、ショッピングセンターに併設された映画館の役割もわかるようになりましたが、そんなの映画館として認めない、と強情をはってみたくもなるのです。
映画には「暗さ」が必要だと思う。
映画館もしかり。
物理的な暗さ。
それに加えて孤独と一体感の、境界線のような場所。
暗くて静かで、なにかに呼ばれているような。
実際、映画がスタートすれば、簡単にその世界に入り込める。
そのくせ2時間も経てば、さっさと追い出される。
私はそんなに簡単に、もとの世界には戻ってこられない。
まぶしい光に照らされる、所在なさ。
日陰者にも、逃げ込める場所を用意しておいて欲しい。
有楽町のシネ・ラ・セットは最高でした。
ミニマムなサイズ。
薄暗さと雑多な感じ。
映画館から一歩踏み出しても、駅前のザワつきが、虚構の世界を延長してくれました。
親の目を盗んで映画館にいくような、いかがわしさに心が躍りました。
いわゆるピンクなやつの気配もチラリ、変に艶っぽい。
そういう映画を上映していた訳じゃないけど。
15年ぶりの映画。
満足か、といえばそうでもないけれど、父が息子を諭すシーンからの終盤はすてきでした。
「君は今とても傷ついているだろう」
「今感じているその痛みを葬るな」
「それでもどうしようもないときは僕たちがいる」
お客様サポートチーム 坂井 歩(さかい あゆみ)
F. フェリーニの「道」を久しぶりに観なおしました。20 年ほど前、初めて観たときには、ヒロインのぶかぶかの黒いコートや靴、前髪パッツンのショートカット、歩き方まで真似していたけれど、さすがに、もうできない。