私がまだ成人してまもない頃、山の仲間とともに中国の秘境ばかりを旅していました。中国は一般には余り知られていなかったことですが、たくさんの民族が統合された多民族国家です。違う言葉を話し、違う文化伝統をもつ様々な民族が中国共産党によって統合されています。
今、世界的に注目されているチベット自治区の他にも、中国による支配を好ましく思っていない民族はいくつも存在していますが、国境を他国と接する新疆(しんきょう)ウイグル自治区、雲南省などは民族の坩堝と呼ばれます。これら3つを時間をかけて旅してきましたから、そこで本当は何が起きているのかは容易に想像出来ます。
ある日、私たちは平地からジープに乗って陸路、切り立った崖や草原を越えてチベットの中心地、ラサを目指していました。すさまじい悪路の連続で腰が砕けそうでしたが、車窓から見たものは信仰に篤いチベット人の家族が、起伏の激しい草原を体を地に伏し、また立ち上がる「五体投地」という激しく肉体を痛めつける方法で聖地を目指す姿でした。一生に1回はラサにある、今は主なき宮殿に向かい、何年もかけてこの方法でお参りするのが彼らのライフワークなのです。
立ち寄った村で人垣が出来ているのを見つけました。何かと思って歩み寄ると、支配者である漢民族の警官たちが、丸腰のチベット人を棒で殴りつけているのです。他のチベット人たちはその周りに集まり、手を後に回して大地に響く声で「ウォー」っと一斉に声を出します。今もあの重い、そして深い声の集まりが耳を離れません。これが彼らの抗議なのです。その後なんども同じ光景を違う場所で見つけることになるとは、若かった私は思いもしませんでした。新疆でも、雲南でも、支配者が暴力をもって民を制する現場は、ずっと繰り返されているはずです。
自らの肉体の傷を痛みと感じないチベット人の猛烈な信仰心を、暴力と宣伝教育によって制圧し続けることは、どんな武器や制裁をもっても出来ません。日本軍がアジアから撤退し、アメリカ軍がベトナムから手を引いたことを見ても、力と政治的制裁の威光はいつまでも続きません。対話、相互理解、融和、つまり愛だけが真実の統治者なのです。