ブータン王国の政府農林省から要請を受け、9月末からブータンを訪問してきました。以前から本紙でもお伝えしているとおり、ブータン政府が進めている「2020年までに国内農業の全てをオーガニック化する」という同国の掲げる目標をお手伝いするためです。この国の全ての政策のベースになっているのが、有名なGNH(国民総幸福[ 量] )を希求するという考え方であり、農業においても農薬や化学物質をつかうことが、長い時間軸で見た場合には決して国民の幸福に寄与しないという政府の認識に基づいています。しかし、とても残念なことですが、この話をいろいろな日本の国際支援関係者にしてみても「それは絵に描いた餅でしかない、決して実現はできない」とか、「貧しいこの国は、単に農薬を作ることも、また買うこともできないから、そんな風に言っているだけ」とか、「食糧自給率のアップや生産性向上を先行させるべきで、この政策には大きな矛盾がある」などの悲観的な意見ばかりが耳に入ってきます。確かに、現地を訪問してみても、市場には安いインドの農産物が大量に並んでいて、国内農産物のシェアは決して高くはありません。まだまだ多くの極貧困層が充分な食糧を得ていないという現実もあります。そのうえ、目標の期日までにはあと7年ほどしかありませんので、スローライフの原点のようなこの国で、設定された目標をクリアするのはとても難しそうです。だからといって、誰にでもいい顔をするブータン人など信じてはいけないとか、途上国のばかげた目標として一笑に付してしまっていいのでしょうか。そうやって、近年の日本は短期的な利益だけを追求してきた結果、取り返しのつかない原発事故や助成金と農薬漬けの農業、さらに自給率の低下を招いてきました。何世代にもわたる命の連鎖の中で、今どのような態度を取るべきなのかという長期的な視野にたった政策の推進を、夢物語として笑ってしまう多くの「合理的な」日本人の癖は、科学的なように見えて、「命はつながっている」という最も大切な原則を忘れているように感じられてなりません。生命はパーツでなく、全体です。人間の身体も、あらゆる機能が全体として調和したときに健康に過ごすことができます。医療が診療科ごとに細分化されすぎてしまったことで、全体を見通すことが難しくなってしまい、切った貼ったの医療行為で多くの人が苦しんでいるという事実もあります。もちろん、専門化されることでメリットを得ていることもたくさんあることは決して否定しません。とはいえ、例えばたった1本の歯の不適切な治療で、全身に不調和を起こすということは、本紙の田中先生の連載でも明らかにされているとおりです。同じように、家族、地域、国家、世界の全体、過去から未来への全てのことは絶え間なく繋がっているという当たり前の事実に立ち戻れば「今はそれが難しいから、とにかく考えないでおこう」という姿勢こそが、止めどない不幸の連鎖の始まりそのものになってゆきます。逆にいえば、どこかで誰かの幸せを引き起こすために必要なことはたった一つ、今、この瞬間を、長期的に誰かの役に立つように必死で考え、たとえそれが難しくても、良いと思われることを信じて続けていくことしかありません。そういう意味で、常に「それは、人々を幸福にするかどうか」という原則にいつも立ち返るブータンの国づくりの進め方は、私たちにとって学びの宝庫であることは間違いありません。
人こそ財産
どの途上国とも同じように、首都ティンプーでは建設ラッシュが起きています。また、外貨獲得の多くを水力発電から得ているため、水力発電所も続々と追加建設されています。とはいえ、どちらにしても非常に小さな山国ですから、外国人からみればまだまだこれからという印象です。道路などのインフラは全く未熟ですが、一方で「とにかく人を育てる」という意気込みが随所に感じられました。今回アテンドしてくれた農林省のドゥルジ君は、誰にもやさしい好青年ですが、近い将来海外でMBAを取得して、また国に戻って知識を生かしたいと言います。上司であり、私たちを招聘してくれた農林事務次官ダショー(最高の人間という称号です)シュラブ氏に対する尊敬の念が随所に溢れていますし、また、上司も若者に対して実に前向きに指導します。もちろん外国人である私に分からない組織の複雑な人間関係があるとしても、この国の根幹がぶれない目標である「人々を幸福にする」というミッションに基づいている以上、育っていく人はそちらに向かって育っていくことになることでしょう。こうやって、王政時代から脈々と人の育成が進められたことは想像に難くありません。先進国がおおよそ打算と利害で活動している間に、その失敗を緻密に学び、未来志向の若者を育成しているのです。命は連鎖するという仏教的な世界観を持っている国や若者が、これから世界で活躍していく時代が、勝って人をなぎ倒す狩猟主義世界の次にやってくるのかもしれません。