人生には、「まさか」も「またか」もありますが、その「まさか」の一つが、私が「占い」の世界に足を踏み入れたことかもしれません。
実は、ひょんなことから本格的に西洋占星術を教えてもらう機会がありました。思い返せば子供のころから星やら月やら石やら、そこにまつわるストーリーが好きだったこともあり、この2年、継続して学んでいます。
ただ、古代から綿々と続いてきたその内容を知れば知るほど、私は、日本語の「占う」という語に含まれる「良い」「悪い」を言い当てる、というニュアンスに違和感が募っていました。なぜなら、そこにある事象を読み解くとき、「良い」「悪い」というジャッジは、むしろ邪魔になるからです。「占う」は「観察」や「語り」に近く、日本語ではありませんが、心理学的な場面で使われる「ナラティブ」という語を思い出したとき、ああ、これかも、と多少違和感が解消されました。
「ナラティブ」とは簡単にいうと「語ること」を意味しますが、出来上がった物語を語るストーリーテリングではなく、当事者がより自由にその経験を語り、そのなかには、その経験に欠かせない一部として時間の流れや起きてきたことを含むという特徴があります。
「占う」という行為の本質は、そこにあるサインを観察し、サインに気がつき、読み解いて、時間軸とともに起こりうる事象を語ることですから、「ナラティブ」というのはなんとまあ、ぴったりな単語だろうと感じます。
趣味占い師のつぶやきはともかく、アッシリア占星術レポートというのをご存じでしょうか。これは、紀元前8~7世紀頃、現在イラクがある地域にあたるアッシリアやバビロニアの3人の天文占星学者が、当時西アジアの覇権を握っていた大国アッシリアの王におこなったレポートで、占星術的な観点から、随時観測されるさまざまな天文現象が予兆する地上の事象を説明する役割を果たしたと考えられています。
この10月、日本とイギリス他の国際共同研究で、このレポート内に示されていたある記述が、オーロラ現象だったと同定されたというニュースがありました。研究は宇宙気象の予測を目的としたものですが、まさか当時の占星術師たちも、自分たちが残した記録が3000年近く経って、宇宙気象の予測に役立つとは思わなかったことでしょう。
アッシリアの時代、占星術師たちの占った内容がナラティブだったかどうか定かではありませんが、少なくとも人に備わる感覚を最高レベルで発揮して観察していたことは間違いないようです。
長い時間軸で見れば、「まさか」は実は「またか」の一部なのかもしれません。
海外事業部 取締役
久野 真希子(くの まきこ)
人の運命の不思議を日々感じている、うさぎ年生まれの40代半ば。つなげる、つながることが得意なのかもしれません。老後は温泉と銭湯がある日本を離れられそうにありません。