人類は太古から目に見えない存在を認識してきました。目に見える現象の背後にあるものを、最初は神と認識したのだと思います。そのため、森羅万象には神が存在するとされています。「魚」「鹿」「太陽」「月」「水」「川」「海」「木」など、この世にあるあらゆるもの、すべてにです。森羅万象の神々の上にすべてを統べる神がいるという一神教の概念は、人には少しわかりにくいようです。
『神々の沈黙』という本があります。著者は当時、プリンストン大学心理学教授のジュリアン・ジェインズ氏です。この本は碩学の彼が生涯でただ一冊書き残した本です。彼が研究した、人類最古の著作物の一つである『イーリアス』では、登場人物が自ら意思の表明をすることはなく、神々が行動を起こさせているという表現しかない、という点に着目しています。人間は太古から同じ思考の仕方をしていると暗黙の前提を置いていますが、どうも違うようです。
ジェインズ氏によると、古代の人々は神と常時話していたそうです。それは特別な人に限らず、誰にでも備わった力だったようです。しかし、現在は一般的には神の声を聞く能力は埋もれています。どこに埋もれているかは、また書く機会があると思います。人は意識を持ち、行動は個々人が責任を持つものとされています。わずかにその神の「気配」を読み取る能力だけが現代まで残っていると私は考えています。それは「エネルギー」とか「気」とか「波動」と呼ばれています。シャーマニズムではそのエネルギーは精霊や神としてそのまま使う原始的なものでした。
一方、古代文明が成立した中国においては、そのエネルギーは陰陽五行に分類されました。もう少し正確に書くと、最初に出てきた理論は陰陽論でした。次に五行理論が出てきて合体したのです。これで2×5=10種類のエネルギーが存在し、そのエネルギーが助け合うかぶつかりあうかで精緻な理論ができました。さらに説明すると、このエネルギー理論は相対的なものです。例えば「金剋木」は金が木を傷つける現象や時を表しています。ここでいう金は必ずしも金属とは限らないのです。金属でも鉛のように柔らかい金属もあり、木でも黒檀のような水に沈むほど硬い木もあります。そういう物質の例をあげて「金剋木」なんてなにも自然現象を表していないじゃないか、と言って論破したつもりになっている人がいますが、五行理論はそういうことを言っているのではありません。
五行理論での金には「冷たい、硬い、堅実」などの意味があります。木には樹木のように「発育、成長」などの意味があります。
金剋木が「頭の硬いオヤジが、子どもの成長を邪魔している」という意味であることもあるのです。そのとき、そのときの事象の特徴を五行で表現するとなんになるか、という観点で世の中の森羅万象の関係を見るのが五行理論です。後年、陰陽五行論は十二支理論に出合い、十干十二支理論となり、古代中国において神の言葉を聞く方法となったのです。
西洋でも同様に神の声(エネルギーの変化)を聞く理論構築の試みはなされました。カバラなどがよい例であると思います。しかし、十干十二支理論ほど万人が納得して使う理論にまではならなかったのではないでしょうか。
時代を下り、科学はさまざまな未知の現象に光を当ててきました。我々は数多くの検証に耐えた「科学的事実」として受け入れています。しかしニュートンが発見した「重力」は100年もオカルト扱いだったし、顕微鏡がない時代は病原菌がもたらす病気だとわからず、例えばペストでヨーロッパの人口のおよそ3分の1が亡くなりました。このように考えると「波動」「エネルギー」といったものが解明される日もくるのではないかと思われます。