先日購入した軽トラのドアに、会社のロゴを入れてもらいました。これは宣伝効果を期待したものではなく、安全運転を自らに促すためのものです。周囲から見られているという意識が働くことで、急いでいるときでも道を譲る心のゆとりを持たせてくれます。「お天道様が見ている」と自戒できない私には、効果的な仕組みです。私がそんなことを考えた背景には、宮古島に来て、小さな地域社会が持つ合理的な機能に共感するようになったことがあるのかもしれません。
移住したばかりのころは、地元の先輩方から見られているように感じることが何度もありました。今思えば、よそ者である私が信用できる人間かどうか、その言動を見守ってくれていたのだと思います。農業や漁業を生業としてきた宮古島の地域社会は、かつて相互依存性の高い社会でした。例えば、重労働とされるサトウキビの収穫では、地域や近隣の農家同士が助け合う「ゆいまーる」の仕組みが機能していました。また、小さなミスや事故が命の危険に直結する追い込み漁では、船員全員が協力し合い、互いの暮らしを支えてきました。このような社会では、地域の維持・発展が自分自身の生活にも直結します。そのため、身近な「他人」と良好な信頼関係を築くことは今とは比べものにならないほど重要であり、相互扶助と表裏一体のものとして、人々がお互いの言動に自然と目を配る文化も機能していたのだと思います。
現在の宮古島では、ネット通販を含めて本土と変わらない利便性を享受でき、情報格差もほとんどありません。第三次産業に従事する人の割合も高まり、グローバル化に伴う個人主義化は今後も進んでいくでしょう。その一方で、人口約5万人の島内では、初めて知り合った人が実は〇〇さんの友人や親戚だったということが頻繁に起こる、人と人とのつながりが濃密な社会です。「アメリカ・ファースト」に象徴される反グローバリズムの動きをきっかけに、世界では新たな枠組みが模索されています。そんな時代だからこそ、宮古島でも小さな地域社会を健全に維持・発展させるために育まれてきた合理的な文化は、これからも大切に受け継がれていくと良いなと思います。
