娘たちと愛犬の散歩に出た日のこと。
「あれ見て!」と次女が指さすほうに目をやると、ツバメの雛が巣から顔をのぞかせていた。毎年自宅マンションの1階の庇の下にツバメが巣をつくる。雛が産まれ、成長し、巣立っていく姿はいつも心をなごませてくれる。
幼いころから動物が好きだ。当時は団地住まいで近くに小さな動物園があり、暇さえあれば足を運んだ。また野良猫にこっそり食べ物を与えたり、怪我をした鳩を保護したり、いつもなにかしら動物と関わっている幼少期だった。
忘れられない思い出がある。小学校2年生のころだったか、団地に住みついていた猫が赤ちゃんを産んだ。産まれたばかりの子猫たちは羊膜に包まれていて、とても神秘的だった。弱々しくも必死で生きようともがく姿が鮮烈に脳裏に焼き付いている。
何匹か産まれたうちの2匹が動かなかった。母猫が必死に子猫の体を舐めるのだが、ぴくりとも動かない。「死んじゃったのかな」と私は泣きそうになり、思わず子猫を抱きあげて、あたためようとタオルでくるんだ。
すると近所のお兄さんが子猫の体をさすってくれた。そのうち1匹の子猫が弱々しく「ニャー」と声をあげた。けれどもう1匹はいつまでも動くことはなかった。私は泣きながら、その子猫を土に埋めた。今思えば、母猫がいるのだから手を出すべきではなかったのかもしれないが、目の前にある今にも消えそうな命を救いたいと思って行動したことは私の誇りで、救えなかった命の存在も今の私を形作っていると思う。
最近やけに動物虐待の記事ばかりが目につく。今、尊い命がたくさん失われていて、ひとつでも多くの命を救おうと日々ご尽力されている方たちがいるなか、弱く無抵抗の存在を傷つけ命を奪うような行為がなくならないのはなぜだろう。いくら考えても答えが出ない。
在宅勤務をしていると愛犬が一点の曇りもない眼差しで見つめてくる。「オイデ」と言うと尻尾をブンブン振って膝に飛び乗ってくる。言葉を操れなくても、体全体で愛情表現をしてくれるのだ。
私たち人間は言葉を操る以上、物理的な暴力でなくても、悪意がなくても、だれかを傷つけてしまうことがある。だからだれもが傷つけ合わないように、なんていうのはきれいごとで叶わないことだ。
けれどせめて、言葉を操ることのない存在がわけのわからない理由で傷つけられ、命が奪われることがないようにと切に願う。そして、今そばにいてくれる愛おしい命に、与えうる限りの愛情を注いでいきたい。
プロモーションセクション
上ヶ谷 友理
(うえがたに ゆり)
2014年入社。受注チームからスタートして、現在は商品の魅力を伝える仕事をしています。13歳と9歳の娘たちと愛犬あずきと暮らすシングルマザー。マイブームは脱出ゲーム。今一番やりたいことは断捨離。