ある日の早朝、兵庫県西宮市の2階の自室で寝ていた私は、遠くから聞こえるゴォーという音で目が覚めた。家の裏側には私鉄が走っていたので、「あ~、電車が近づいてるんかな?」と思ったが、音がまったく違う。
なにかがおかしい。こんな2階まで鉄道が起こす地響きが聞こえるか? 怖くなって、咄嗟に布団を掴んで潜り込んだ。今度はドォォォンという音が鳴って、激しい縦揺れが始まる。
いまだに忘れられない、1995年1月17日5時46分に発生した、阪神淡路大震災直前の私の記憶だ。
長く感じた揺れが収まって、布団から出ようとするが、身体が震えて、硬直して動かない。1階から母が叫ぶように私の安否を確認している。なんども、なんども必死に口を動かそうとしてから、なんとか母に届く声が出た。布団から顔を出すと、タンスが私に向かって倒れ、引き出しと床の間に私の足が挟まっていた。その痛みもわからないほど放心していたのだ。
幸い下敷きにならず、タンスから抜け出すと、外から女性が「助けて~!」と叫ぶ声がした。窓を開けて、呆然とする。斜め向かいの家が全壊していたのだ。慌てて1階に降りると、私の家もめちゃくちゃになっていた。
電気を付けようとしたが叶わない。外に出たのか、家には誰もいなかった。当時小学生だった2人の弟が近くの川で釣った鯉は玄関の水槽から飛び出し、玄関前の床で跳ねていた。生き物が苦手な私は、鯉を跨いで靴を履くこともできず、「誰か来て~」と、何度も叫んだ。恐怖心、寂しさ、怒り、いろんな感情が爆発して号泣したのだ。
それでも玄関に出ると、外は薄暗く、ガスの臭いがした。道には瓦が落ち、ブロック塀が倒れていた。近所の人たちが全壊した家に集まり救助活動をし、何時間もかけて全員が病院に運ばれていった。電気は当日のうちに復旧したと記憶しているが、水道、ガスは復旧に時間がかかった。
電気が復旧してテレビをつけると神戸市長田区の映像が流れ最初はドラマか映画を放送しているのかと思った。父にココまで火は来るのかと聞いたら、テレビを見つめながら、「来ん」の一言だけが返ってきた。
振り返ってみるとここに書ききれないほどいろんなことを思い出す。当時、いろいろな方からの支援があったからこそ、生活ができていました。この場をお借りして、26年前のあのとき、私たちに手を差し伸べてくださり、ありがとうございました。
プレマルシェ・ジェラテリア
製造チーム
駒水 沙織
(こまみず さおり)
派遣社員として10数年前より携わり、約8年前よりプレマスタッフとして仲間入り。趣味はプロ・高校野球観戦(地元が西宮なので)、食べること、寝ること、読書。読書が趣味なのに文才がないのが残念でなりません。