「あり得ない」を辞書で引くと、存在、成立する可能性がない、事実として容認しがたい、とある。
私にとって「あり得ない」は、完全な否定や拒否であり、同時に思考停止を示す言葉だ。どんな状況下で発せられたとしても、それだけは変わらない。だから、私は安易には使わないけれど、その言葉を聞くと瞬時にスイッチが入る。アドレナリンが全開で、「キタキター!」と脳みそがフル回転し始める。「なにがそう言わせるのか」「どこかに論理の穴はないか」「発言者に矛盾がないか」など、人、状況、文脈を一気に分析し始める。それは自分でも面白いくらいのフル回転である。
私はプレマシャンティなどの商品開発を生業としている。その役割は、私にピッタリだと思っている。なぜなら開発には「あり得ない」がつきものだから。「無理」や「前例がない」も、そして「非常識」もだ。どの言葉も現状に固執し、可能性を否定した心の表れだけれど、そうやって抵抗されればされるほど、ワクワクしてくる。
開発とは可能性を探索することだ。「今までになかった」「今までできなかった」を変化させる役割でもある。髪の毛1本分、針でうがった小穴でもいい。隙間を作り出し、違和感を作り出す。すると、なにかが変わりだす。調査と分析、シミュレーションを繰り返し、情報戦や交渉も満載だ。もちろん忍耐もする。相手にわずかでも考えるそぶりが見え始めたら、「無理だ」「あり得ない」が揺らぎはじめる。こうなると面白い。可能性が見え始めたら、「ほら、あり得たでしょう」と心のなかでニマッとする。相手が「あり得ない」と言っていたことすら忘れていたら、なお良しだ。
アイテムを集め、コツコツと経験値を積み上げ、レベルアップしていくシミュレーションロールプレイングゲームにも似ているけれど、ゲームと違ってエンディングがあるようでない。開発してみたが、先取りしすぎて笑えるくらい売れないモノに冷や汗をかくときもある。パーティをつくってみたけれど「さて、このメンバーでこれからどうする?」というときもある。それらもひっくるめて、開発の面白さなんだろう。
ここまで書いて、ふと考えた。運動や語学の習得、日々の暮らしさえも、結局、自分のなかにあるたくさんの「あり得ない」を、一枚ずつ剥がす作業の積み重ねなのかもしれない。そう考えると、自分のなかからなにが出てくるのか、楽しみになってくる。
プレマシャンティ®開拓チーム
横山・ルセール 奈保(よこやま・ルセール なほ)
日本生まれ、海外育ち。競技者として育ち、 肉体と食、食と精神、精神と肉体の関係を知る。ヨガセラピスト、マクロビオティック&中国伝統医学プラクティショナ―。Albert Einstein、白洲次郎を敬愛。理解あるフランス人パートナーのおかげで、日本に単身赴任中。